蒼くんに会えたのは、それから数分後だっ

た。


 壁際の列の、最後尾席。

 目立たないはずの場所にやたら視線の渦が

できているのは、向かい側にしーちゃんが座

っているからだと思う。



 声をかけるより前に蒼くんは私の姿を見つ

けてくれて、瞳を細めて「こっちだ」と合図

を送ってくれた。

 いつもと変わらないクールな態度。

 それにいったん深く安堵し、そしてすぐに

不安になる。


(うぅぅ……やっぱり夢だった……?)

   


 私はできるだけ平静を装いながら、彼の斜

め向かいの席――しーちゃんの隣にある椅子

を、控えめにひいて笑顔を作った。


「おはよ〜」

「おはよう」


 何てことない挨拶が緊張に満ちてるって感

じているのは、私だけ……なのかな?

 立ったまま肩掛けしていたトートバッグを

置いて、お財布だけを手持ちする。


「あはっ。お腹すいた〜」


 覗き見ると蒼くんの前に並べられたお皿は、

どれも半分以上が空だった。


「今日は、早かったんだね」


「ああ。午後一のドイツ語、訳当たる予定で。

早く行かねーとヤバくて」


「そう……なんだ」


 唯一の共通時間も、あまり一緒にいられそ

うにないんだと分かって、テンションがグッ

と急降下する。

 うぅぅ……。食券の列に、並ぶ間も惜しい。


(あの混みじゃ、当分戻ってこれないもん……)


 お財布を握りしめたまま迷って立ち尽くし

ていた私を、隣りにいたしーちゃんは冷やや

かに見上げた。

 そして長い腕で私の頭をグイッと押し込め、

乱暴に椅子に座らせる。


「なにトロトロやってんの? 目障りなんだ

けど」


「ふぇ……。しーちゃん……」


 恨めしく思いながら乱された前髪を撫でて

いると、目の前に手付かずのクラブハウスサ

ンドが突き出された。


「決められないんだったら、コレ食べれば?」


「え……だってソレは、しーちゃんのお昼な

んじゃ……」


「食べる気失せた。1個もらえばイイから」


「う、うん……」


 アリガトウと小さく呟いて、素直にプレー

トを受け取って――。

 初めてしーちゃんが苛立っていることに気

づく。



 右手で頬杖をつきながら、左手の携帯画面

に雑な視線を落とし、しーちゃんはカチャカ

チャと無言でボタンを連打し続けていた。


 誰かにメール、かな?

 ……うわっ。

 でも何か、負のオーラでいっぱいなんです

けどぉ……。


 外面のイイしーちゃんが、公衆の面前で機

嫌の悪さを露にするのはすごく珍しい。

 珍しいけど……こうなると厄介で、私は添

え物のポテトに手を伸ばしながら肩をすくめ

る。


「ねぇ……どしたの?」

   


 本人にじゃなく、蒼くんに言葉をふった。

 彼はお箸を動かす手をいったん止めて、口

元だけで苦笑う。


「女と……こじれてるらしい。クリスマスに

ロケが入ったとか何とかで」


「あらら……」


 イライラの理由、妙に納得。


「それは彼女さん怒るよね。イヴは駄目なの。

女の子の絶対だもん。そんな日に放っておい

たら、さすがのしーちゃんも振られちゃうと

思う」


 思わず吐いた台詞に、蒼くんは興味深そう

な視線を寄せる。


「……そんなもんか?」


「え? あ、うん。そんなもんだよ、きっと。

『エリカ』は、拘るタイプだし……」


「……エリカ?」


「『プウペ』っていうファッション誌の有名

読モだよ〜。去年のクリスマスなんかね――」



 ボソボソとそんな会話を交わしていた私達

に、しーちゃんは明らかな怒りをのせて、声

だけで割り込んでくる。



「ウルサイって。だからそうならないように、

仕事調整つけてるとこじゃん」


「あはっ。しーちゃんってば。そーいうとこ、

本当マメだよね」


「…………。彼氏歴ゼロのが、なに偉そ

うに語っちゃってるわけ?」


「う……」


「それに今カノは、『エリカ』じゃない」


「…………」



 触らぬ神に祟りなし……だぁ……。


 私は子供みたいに唇を尖らせながら、ただ

黙々と食事を続けた。


 少ししてメールの着信音が短く響くと、画

面を睨みつけていたしーちゃんの表情がより

いっそう険しいものに変わる。


「電話かけてくる」

 そう言い残して、しーちゃんは学食を飛び

出していった。



 やれやれ……と溜め息をついてから、残さ

れた私達はお互いの顔を見合わせる。

 そして程なく、口元を緩めたんだけど……。


 遠慮がちに笑った私とは違い、意外にも蒼

くんは抜けるように――でも穏やかに笑んだ

んだ。



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