◇     6.天主の絶対命令   〜 蒼 〜  




 『子孫を残す為だけに、生きろ』



 そんな意味合いの言葉がに対して発せられた時、本気で自分の耳を疑った。
 厳格な人物。
 それだけでも苦手だった『天主てんしゅ』という男が、更に不可解で厄介な存在に思える。



(ありえねーだろ……)

 19歳の自分の娘に、早く子供を産めと強要する父親なんて。
 でもに向けた眼差しが、誰に対するものよりも威圧的で。
 おい……本気で言ってんのかよって、一瞬背筋が凍りついた。


 こいつは一体どんな気持ちで、父親の言葉を聞いてるんだろうか。
 仕事に関わるのが嫌なこと。窮屈な家柄を疎んで、自由な生活を望んでいることは知っていたけど。
 こんなのは普通じゃない。
 俯いたまま時々肩を震わせるからは、『反抗心』というよりはあきらかな『恐怖心』が垣間見えて。
 それが痛々しくて、心配になる。
 それに加えこの話題に入った途端、は俺と目を合わせようとしなかった。



(何、考えてる……?)

   



 たった3ヶ月前に力が目覚めたばかりの俺には、天力者てんりょくしゃの云々なんて分からない。
 こいつの事が好きだと実感してからも、与えられたこと以外深入りする気もなかった。



 お前は知らないと思うけど――。
 俺がこの家と交わしたのは、等価交換。
 大学を卒業するまでの期間限定で、生まれもったこの力を家のために使うと契約した。
 仕事のあるナシにかかわらず、24時間を天力者としての使命全うに捧げる。
 その見返りとして、両親と弟たちの身の安全、経済面での援助を約束させた。


 アルバイト、みたいなもん。
 拘束は、全寮制の学校にでもいると思えばいい。
 何よりもアイツのそばには『天海あまみ』がいるんだし……。そんなふうに割り切って、毎日をこなしてたけど――。

 これからはもっと、色々知っていくべきなのかもしれない。
 妖力者の存在とか、天力者の意義とか。
 過去に何があって、これから何に向かえばいいのかとか。
 この家の長女として生まれたの小さな肩に、どんなものが背負わされているのか、なんていうのを……。



(できる事なら少しでも、軽くしてやりたい)


 せめてこんな沈んだカオを、しないで済むくらいには。






 を厳しく叱咤し、あの天海さえをも恐縮させた後。
 天主はいったん視線を外し、「これで務まるのか……?」とため息混じりに独りごちた。
 広すぎる部屋に流れる、しばらくの沈黙。
 格式あるこの家に不慣れな俺は、ただ座っているだけでもプレッシャーで。変な汗をかかずにはいられない。


 ふとして、これまで静観していた執事が動く。

「失礼致します」


 背後に気配なく回り込み、そのまま天海の左側で膝をついた男は、鋭くキレイに一礼した。
 スーツの上からでも分かる筋肉質な身体。無駄のない動き。
 切れ長の目が涼しげな20代後半のその人は、たしか『柏原かしわばら』と呼ばれている。


「紫己様、こちらを」

 頭を低くしたまま両手を掲げた執事は、おもむろに何かを差し出した。
 
 長い棒……みたいなの?
 着物のような布地で何重にも包まれたソレをくるくると解いていくうちに、天海の顔つきが急に険しくなる。


「コレってまさか……」

「お前に本物を見せるのは、初めてだったか?」

「はい……」


 天主の問いかけに、吐息を漏らす程度の返答をする天海。
 2人の間にいつも以上の緊迫した空気が広がって、俺は思わず身をのりだして覗き込む。



(何だ……これは……)


 そこには年代ものといった雰囲気の1本の日本刀があった。

 相当、古い剣。握り部分に巻きついた黒い革はすでにボロボロで、鞘もところどころいびつにへこんでいて……。
 でも一目で、価値あるものと分かる。時代劇で武士が身につけてるものというよりは、装飾が派手でゴツくて。
 埋め込んである宝石らしい赤い石が、実用性のなさを象徴しているように見えた。


(金持ちの道楽か……?)


 デカイこの家には似合いすぎるくらいの骨董。
 だけど、何でこの場で……。
 訝し気に視線を投げる俺を目の端で拾い、天主は珍しく口角を上げる。


「君も、持ってみるといい」



「……はい……」



 天海から手渡されたソレを何気なく受け取り、まずその重みに体が崩れた。
 勢いで、鞘から少し引き抜いてみる。
 目にした刃は銀色の光沢をはなって、回りはこんなに朽ちているのに刃こぼれ一つしていない。


(……前言撤回……)


 実用性がないなんて、とんでもない。
 お飾りだけのアンティークなんかじゃ、絶対にあり得ない。
 ホンモノ――。
 初めて触れる、どこか男心をくすぐる美しい代物に、息をのまずにはいられなかった。
 
 
 

「これを、『祟峻すいしゅんつるぎ』と呼ぶ」


 貫禄ある声が突き刺さるように響き、俺はハッと我に返った。


(……やべ……。コレに一瞬もってかれた…………)


 思わず肩が跳ねあがったのを、もちろん天主が見逃すはずもなく。
 指をすべらせながら着物の襟元を整え、さらに厳しい面持ちで言葉を続ける。


「『三種さんしゅ神器じんぎ』と呼ばれるものを、君は知っているか?」


 三種の神器……?
 必要不可欠な3つの品とか、威光を象徴する3つのアイテムとか……使い方は様々あるけど。
 ここで言うのは一般に、権力の誇示。支配者の象徴。
 日本史とかに出てくる、あの『鏡、剣、玉』ってヤツのことだろうか。



「この刀は妖力者にとっての、それ――所謂いわゆる、「武」や「勇」を意味する『剣』に当たる。
 古代より、輩の間で継承されてきた物でな。ただ権力の証であるなら放っておくんだが、これはそうもいかない」

「……」

「祟峻が籠めた念により、妖力の増幅器の役割を担っている。
 つまり、我々があやつらを浄化する上で、『邪魔な代物』というわけだ」

「…………」



 なぜそんな物が、此処にあるのか? どうやって手に入れたのか?
 訊きたいことは山ほどあるけど……。


「――もっとも、器は違えどそこに巣食う『モノ』に変わりない長に、『継承』という言葉が相応しいとは思えんが」


 そう嘲笑を含んで吐き捨てた天主に、これ以上面と向かって話をする勇気はなかった。



(やっぱり、苦手だ。のおじさん……)




 あと2つ。祟峻すいしゅんが保持してるだろう、鏡と玉の回収。
 そして妖力を操る者すべてを浄化し、この世から完全排除するのが天力者の使命――とつけ加え、
 天主はいつも以上の圧力をかけて新しい仕事を命じてくる。


 都内で『鏡』を使った、妖力者の出現情報が入った。
 『妖人ようびと』となったのは、20代のOL。だが未遂に終わっているため、もう1度その妖力者が接触してくる可能性がある。
 周辺を探り、鏡の真相に辿りつけ――と。



 天海は執事から手渡された、事件の資料らしき紙に視線を落としたまま、


「もしもホントに、祟峻の仕業だったりしたら……」


 「厄介じゃん」と飲み込むように呟いて、俺の右隣りに座るに視線を投げる。
 それとほぼ同時に、天主も強い視線を刺した。


「。その剣、お前も手にしてみろ」

「え?」


 会話からだいぶ距離をおいていたは、執事が突然差しだしたソレに目を丸くする。


「何で? 別に、私は……」

「いいから、持ってみろ」

「……」


 有無を言わさない父親の態度に圧倒され、しぶしぶ姿勢を正す。
 掲げられた日本刀をしばらくの間眺め、細い指をゆっくり伸ばしかけて――。
 急にブルッと身体を震わせた。



「ヤダ……何かこれ、キモチ悪い……」


 引っこめた手を胸元にあてて、表情を歪ませながら呟く。


「私、さわれないよ。この刀の中にある『モノ』、何かすごく怖い……」



 俺と天海は思わず顔を見合わせた。
 中にある『モノ』……?
 コイツにはいったい、何が見えてるっていうんだろうか。
 俺には不可解なこの発言。でも天主には想定内のことだったらしい。
 執事と一瞬だけ合図を交わすと、半ば睨みつけるように自分の娘に向き合う。



「。今回の仕事、お前が担当しろ」

「え?」

「紫己達はあくまでも補佐だ。全てをお前に、一任する」

「……!?」



 俺たち3人は絶句した。
 一任?
 それって『鏡回収』と、祟峻かもしれない妖力者との接触を、コイツにやらせるってことか!?

 宗家の姫であるには、一線で仕事をさせることはないと聞いていた。
 だからこそ、俺みたいな兵隊が必要なわけで。
 女として生まれた「天子てんし」の身体を誰よりも重んじている、天主の台詞とはとうてい思えない。



「これは八純はずみの提案だ」


 そう口にして、眉をひそめる天主。
 渋い表情からは、乗り気じゃないことが窺えた。


「あいつが珍しく、意見してきてな。つまらない賭けをした。もしが『祟峻の剣』に触れる事が出来なかったら、
 それだけの眼力があるのなら。今回の仕事を任せてみる、などと」



 あの聡明な八純が?
 一体、何を考えてるんだ……。


「ちょっと、待って下さい! にやらせるなんて、そんな危険なマネ……」

 思わず前のめりになって訴える。――けど。


「紫己!!」

 俺には目もくれず、天主は天海の名を叫ぶことで一喝する。


「にとって、最初で最後の仕事だ。傷一つ負わせることも、許されない。……意味は分かるな?」



 無茶、言うなよ……。だったら初めから、大事に隠しとけっての。
 守るものがあれば、決定的なとこで甘さが出る。何かあった時に、絶対的に不利になる。
 天海だって、きっとそう思ったはずなのに……。


「ええ、重々承知してます。死んでも守りますよ、は」



 どうして……こうも従順なんだ?


「…………」


 それがこの名家と天海の繋がりなら、異端児の俺こそが動かなきゃなんねーのかもしれない。


(俺は俺なりに、アイツを守る)


 心の奥でそんなことを思って、もう一度斜め後ろのに振り返る。
 今度はちゃんと目が合った。
 弱弱しくもとりあえず笑顔を見せたに、ホッと胸をなで下ろす。
 仕事のことは、後で天海と相談すればいい。
 なるべくコイツに危険が及ばないように、俺が一線に立てば済むことだ。




「話は以上だ」


 着物の裾を慣れた手つきで叩きながら起立すると、天主は颯爽と退席する。
 ……が、部屋を出る間際、何かを思い出したようにふと足をとめて振り返った。


「。第4週の土曜日、終日空けておくように」


 今月最後の土曜=12月25日、クリスマス。
 ついさっきまで2人で語ってた身近な話題だけに、思わず俺までもが敏感に反応してしまう。


「な……何? 私、その日はちょっと予定が……」


 は控えめな視線をチラリとこちらに投げ、語尾を濁らせる。


「仕事の話とかなら、別の日で……」

「見合いだ」


 間髪を容れず、天主の低い声が響いた。







「……な……なに言って…………」


 驚きのあまり、次の言葉を失う。
 さすがの俺も動揺を隠せず、無関心なフリができない。
 みあい? 見合い……って、アレだよな。
 着物とか着て、仲人はさんで飯食って、池の鯉とか眺めながら2人で散歩したりするヤツで……。


(じゃねーよ! 重大なのは「結婚を前提に」ってトコだろ!)


 頭の中がひっくり返って、中途半端なひとりツッコミを入れる始末。



 そんな状況下で天海だけが、やたら冷静だったように思う。
 知ってたのか? こんな命令が下ることを。
 もしかして……もうずっと前から……?



「宗家に生まれながらこれまで、天力者らしいことを何一つしてこなかった。
 秘めたる力を持ちながら高めることもせず、女であることに胡坐をかいてきたお前に、今できる事はそれくらいだ」


 迷いのない目で、厳しく娘を咎める父親。
 たった数時間前にとの距離を縮めたばかりの俺なんかが、とても割って入れる雰囲気じゃない。
 音をたてて立ち上がり、は天主に駆け寄った。



「……お父さん……ちょっと待ってよ。何で急に、そんな……」

「急にだと? 子孫を残すのがお前の使命だと、再三教えてきたはずだ」

「だって、だって……私はまだ学生で……」

「ならば、退学すれば良いだけの事。家の人間として、これ以上の甘えは許さない」

「お父……さん……」

「役割を果たす時がきたと考えよ!!」

「……!……」



 天主の怒号が飛び、はビクッと肩を震わせた。
 恐怖で乾いた唇からは、もう次の音は響かない。
 それを確認して、天主は部屋を後にする。



 は今にも泣きそうな顔で、しばらくその場に立ち尽くしていた。


 支えてやりたいのに。
 抱きしめたいのに。
 俺の右手は、ただ空を切る。



 だって天海が当然のように、自分の元へ引き寄せたから――。


   


「……大丈夫だよ、。僕がどうにかするから、さ」







 ……ああ、やられた。
 このタイミングで、そんなセリフ。
 俺には絶対に、思いつかない。


 
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