◆     9.身勝手なシナリオ 



『鏡、そろそろ受け取りに来てイイよ』

 そんなメールで朱理から呼び出されたのは、意外にも前回と同じ場所――ウチの近所の神社だった。
 鳥居をくぐった瞬間から彼の異様なオーラは感じとれて、わりと広い境内なの引っ張られるみたいに迷いなく近づける。
 石畳を歩いて、本堂の脇をすり抜けて。真裏にある緑と裸の木々が入り混じった林まで進むと、月明かりの差し込んだ場所で朱理が空を仰いでるのが見えた。
 普段は犬の散歩コースになるこの場所だけど、さすがに20時を過ぎると他に人の気配なんてない。
 私がここに入り込んだことに、ずっと前から気づいてるよね?
 でも頑として振り返ることはなく、手を伸ばし合えば届く距離になってやっと視線を真っ直ぐにぶつけてきた。
 警戒心いっぱいの私とは裏腹に、ニコッなんて幼い笑顔を浮かべる。



   


「あれ〜? ちょっとオーラ増したんじゃない? すごいなぁこの短期間で。さすがだね!」

 振り向きざま一目で天力を計られたことに、まず恐怖を感じてしまった。
 朱理に力の差を見せつけられた日から頑張って鍛錬してきたつもりだったのに、そんな私を見て彼は驚くというよりむしろ喜んでいるような気がする。
 どれだけ力をもってるって言うんだろう……。
 不安も感じたけれど、それ以上にバカにされてるみたいで腹が立った。
 気づかれないように一歩だけ後ずさりして、彼をキツく睨みつける。

「鏡くれるって言ったの、嘘じゃないよね?」

 すんなり渡してくれるなんて期待してないけど、この場にちゃんと持ってきたかどうかくらいは確認しておかなきゃって思った。
 妖力の増幅器の役割をするっていう『祟峻の鏡』。
 私が今日手にすることができたなら、一族にとって数年ぶりの奪還ってことになるんだ。
 お父さんとしーちゃんを認めさせるには十分。
 そして何より奈良ちゃんを守るためにも、このチャンスは絶対に逃したくない。

「ねえ、早くちょうだい」
 
 気負いを隠せずに、距離をとったまま両手を前に突き出して揺らした。
 そんな私の姿を見て朱理は声をあげて吹き出す。

「ぶはっ! 何それ、チワワかよ! 可愛すぎでしょっ。チョウダイチョウダイしてもあげないよ〜」
「なっ……騙したの!? 受け取りに来い、なんて言うから素直に来たのに!」
「ウソなんかついてないよ〜。だからオレにキスしてくれたらって言ったじゃん」
「ふざけないで!」
「いや、これはマジでっ」

 笑いを引きずったままの声でそう言うと、朱理はふと真顔になり私の間合いに入り込んできた。

「!」

 顔が近づいたことに焦って、とっさに横に飛びのいて避けるものの、彼の素早さは普通じゃない。
 私の動きに無駄なくついてきたかと思うと、2ターン目でいとも簡単に後ろをとられてしまう。
 この型――この人、古武道の経験もあるの!?
 背後から片手で身体を捕まえられ、もう片方の手の平で喉元を押さえつけられる。それなりに経験者の私を、朱理はたった数秒で絞め技にもちこんだ。

「うっ……」

 ちょっともがいてみたけれど、ガッチリとはまっている腕からは簡単には抜け出せそうもなかった。
 この人と闘う時は天力と妖力がぶつかるものだと思いこんでたのに……。予想外の攻め込まれ方に頭が一瞬真っ白になる。

「ちゃん、抱き心地いいな〜。フワフワでやぁ〜らかい」

 喉を拘束されて声の出せない私に、朱理はわざと聞かせるみたいに頭上から甘い声を投げた。
 ヤダ、遊ばれてる? 悔しい!
 この体勢からなら落とすのなんて簡単なはずなのに、彼はヘビみたいに巻きついて私を焦らすの。
 同時にまた、別の間を計っているようにも見えた。
 何のために?
 唯一自由の残された足でとりあえずスネを蹴り飛ばしてみる。けど軽く跳ねた程度で、力を緩めさせることはできない。

「は〜い、そろそろコッチ向いてね」

 朱理は耳元でそう囁くと、技をかけた体勢のまま私の首だけを自分の元へ振り向かせた。
 ちょっと……ヤダ。何するのよ……。
 声にならない声で叫びながら、締め付ける腕を引きはがそうとキツく爪をたてる。

「ちゃん、好きだよ」

 愛の台詞なんて場違いなこの状況で、朱理はまつ毛をパタリと揺らしゆっくりと顔を近づけてきた。
 何言ってるのこの人。意味が分からない。
 動けない私はその唇が重なるのを、ただバカみたいに待ってることしかできなかった。
 ヤダ……ヤメてよ……。
 妖力で攻め込まれるよりも、女の子として襲われるのってすごくキモチ悪い。反射的に、恐怖で思わず目を閉じてしまう。


   

 

 触れたか、触れてないかの軽いキス。その後ちょっと間をおいて、強めに唇を押しつけられる。
 蒼くんと、なぜかしーちゃんの顔が交互に脳裏を過った。後ろめたくて息苦しい。
 

「んっ……」

 されるがままに朱理の唇の冷たさを受け止めていた最中――。
 !!
 突然どこからか毒々しい念をぶつけられて、ゾクッと全身に悪寒が走る。……今の何?
 受けたことのない衝撃に驚いたのは、もしかしたら朱理も同じだったのかもしれない。
 腕が多少緩んだのを逃さず慌てて左右を見渡すと、数メートル先に信じられない人の姿を見つけた。  

「……奈良ちゃん?」

 顔が確認できたのにもかかわらず問いかけてしまったのは、彼女がどす黒い闇に包まれていたから。
 そこに立っているのは間違いなく奈良ちゃんなのに、私の目にはその魂は霞んで、別の何かが蠢いてるように見えるの。

   



「奈良ちゃんだよね? ねえ、そこに奈良ちゃんはいるよね!?」

 思わず声を上げると、彼女は斜め下に目線を逸らし細い声を出した。
 
「……あんたら何しとんの? 話あるとか、こんなとこまで呼び出しといて」
 
 あぁ良かった、意識がある! こんなにも妖力に捕らわれてるのに、奈良ちゃんの精神は喰われたりしてない!
 嫉妬に満ちた彼女の冷めた声を耳にして、私が最初に感じたのはそういう種類の安堵だった。
 ある意味、男女の修羅場っていうこの状況。そこに意識が及ばなかったのは妖力云々だけじゃなく、ただ私に恋愛の経験が足りないせいかもしれない。
 想いがうまく届かない歯がゆさとか、自分の感情がコントロールできない苦しみとか。そういう恋の難しさを、幸運にも私はよく知らないの。
 だから奈良ちゃんの心の強さを過信していた。
『適合しなくて憑依に苦戦してる』
 朱理が言ってたことは本当で、そんな簡単に体を乗っ取られたりはしないんじゃないかって。

 とにかく少しでも、妖力を取り除こう!
 周囲の木々をとりまく自然エネルギーを体に集中させて、より強い天力を全身にめぐらせようとした。
 でも再び絡みついてきた朱理の腕が、それを阻止する。

「見られちゃったんだ、今のキス。ゴメンねぇ、でも奈良ちゃんにはちゃんとオレ達のこと、話しとかなきゃって思って。な〜、」

 まるで危機感のない、恋愛マンガの登場人物みたいな台詞。それも2人で策略したかのように話をふられて、私は目を丸くした。
 何なの? やめてよ。今、そんな話をしてる場合じゃないんだけど!
 そう反論したいのに、喉を締めつけられて声が出せない。
 朱理の腕の中で言い訳ひとつしない私を、奈良ちゃんは軽蔑したような目で睨みつけた。

「カレシいる身で、シキ君にも……今朝あんなんやってて。よくもまあ朱理にまで手ぇ出せるなぁ。あんたちょっとタフすぎとちゃうん?」

 わなわなと肩を震わせながら、遠回しな嫌味。それを聞いてやっと、彼女がここまで積み重ねてしまった私への不信に気づかされる。
 年齢も立場もウソをついて近づいて。話せないことも多くて、しーちゃんとの事で誤解を受けたばかりだったのに。
 加えてこの展開……。
「朱理は敵なの! キスだって無理やりで、そこに愛情なんてないんだよ!」 そう叫べたとしても、とても信じてもらえない気がした。
 自分の好きな人が他の女の子に口づけたっていう、目に映った事実が全てなんだ。
 理由なんてきっとどうだっていい。

「あたしが、どんだけ朱理のこと好きやったか知っとるよな?」

 怒気をはらんだ涙声が感情の高ぶりを表している。

「友達やと思ってたのに、何でぇ? 何でこんな酷い裏切り方するん!?」

 絞り出すように叫んだ奈良ちゃんが一歩こちらに近づくと、朱理は見せつけるように私を抱きしめた。

「奈良ちゃん、を責めないで。カレシいてもいいからってオレから頼んだんだ」

 艶めいた言い回しで、わざと彼女の嫉妬心を煽る。
 朱理……ヤメて。これ以上、心に傷をつけちゃいけない。負の心には妖力が浸透しやすいんだ。


「好きなんだよ、この子が。だからもうオレの事なんて待ったりするな」


……!!……


 奈良ちゃんが直向きに頑張ろうとしてたことを、朱理自身が全否定した瞬間だった。
 優しくてキレイな奈良ちゃんの心が、パリンって薄い硝子が割れるみたいな音をたてる。
 それと同時に内で育っていた妖力が勢いよく溢れ出し、轟音と共に黒い火柱を起こした。
 小さな体はあっという間に闇の塊に呑みこまれて、視界から奈良ちゃんの姿は消えてしまう。
 
 怒りと悲しみのバランス。
 妖力による心の支配率。
 憎悪と嫉妬が愛情と信頼を上回るタイミング。
 最初から朱理は緻密な計算のもとに、このシナリオを描いたのかもしれない。出逢いから別れまで、何て自分勝手なお話なんだろう。

「ダメー! 奈良ちゃん戻ってー!!」

 遅いのは分かってた。でも諦めきれなくて呼び続ける。



 妖力の霧が広がる中、少しして何かが見えた。
『奈良橋まつ子』という人間の器に、別の霊魂をもつ何かが……。



「…………ヤット コノオンナノカラダガ…………テニハイッタヨ」

「!!」

 レベル4――完全憑依。
 ここまできたら今までに見た『人ならざるモノ』と同じように、肉体ごと浄化して『タマ』を取り出すしか方法なんてないの。






 
「うわっ。思ってたよりすごいなぁ、コレ」

 妖力者誕生の一部始終を眺め終わって、よそ事のように呟いた朱理。
 笑い混じりのそれに強い怒りを感じても、もうどうしていいか分からずにただ呆然とした。
 奈良ちゃんを守るために、朱理を浄化するのが目的だった。その為だけに強くなりたいって思ったのに、もう奈良ちゃんはどこにもいないの。
 そしてもう1人、この目の前にいる妖力者も浄化しなきゃいけないのかな?
 何のために? 何で私ここにいるんだっけ?

 行く先を見失って前へ進めなくなった私を、朱理は相変わらずの力で拘束していた。
 けど急に殺気だって舌打ちをすると、私を斜め前に突き飛ばして大きく後ろにジャンプする。
 朱理の腕から久しぶりの自由を取り戻した私の体は、宙を舞うみたいに弧を描いて、衝撃と共に別の誰かに受け止められた。
 優しくて居心地のいい温もり。耳馴染みのある心音。
 顔を見上げなくたって誰だかすぐ分かる。

「ってば何でこんな無茶を!」

 抱き寄せた腕に力をこめて、しーちゃんは険しい表情で一喝した。
 ただならぬ妖気を発する奈良ちゃんの外見をしたモノと、ひょうひょうとした笑顔を浮かべる朱理。
 それらを交互に見ながら天力を体内にかけめぐらせて、戦う体勢を即座に整える。

「ごめんなさい……」

 力なく体を預けたまま、私はそれだけを呟いた。
 怒られて当然。
 力が足りないって認識してたくせに勝手に動いて、意固地になって「助けて」って叫べなくて。
 敵のなすがままに奈良ちゃんを妖力者にしてしまった。天力者として大失態。
 しーちゃんに相談していたら、こんな最悪な結末だけは避けられたはずなのに。
 
 呆れられて、冷めた眼差しで怒鳴られることを覚悟した。
 でもしーちゃんは私の全身を目と手でくまなく確認して何もないと分かると、心からホッとしたような優しい顔になった。
 最後に私の額にコツンと自分のをぶつけて、いつもみたいに意地悪く口角を上げる。

「ほら、ちゃんと立ちなよ。の仕事を僕が1人で片付けちゃってもイイわけ?」
「!」

 泣き崩れて甘えたい気持ちは、その一言で吹き飛んだ。
 そうだね、今はまだ弱くなれない。この状況を何とかするのが先だ。
 





「やっぱり来たか。よくココが分かったな。さ〜すがちゃんのナイトだね〜」

 少し離れたところから、朱理がからかうような声を投げてきた。
 しーちゃんは私を守るように背中に隠し、ゆっくりと振り向いて冷やかに返す。

「よく言うよ。こんな家のテリトリーで騒ぎを起こしといてさ。あの膨大な妖力量で気付かないわけないでしょ」
「へ〜。姫さんの側近なだけあって、やっぱ有能なんだな。だったらなおさら見せたかったよ、新しい霊魂が憑依する瞬間! かなりの貴重映像でさー」

 この男ってば……!
 強かな態度に頭にきて食ってかかろうとした私を押さえがら、しーちゃんはフゥと小さく息を吐く。

「で、どうしたいわけ? お前は」

 そう問われて、朱理はニヤリと薄く笑んだ。

「ちゃんの力をもうちょっと試したいかも」

 そして妖力者となった奈良ちゃんを人差し指で弾くように指す。

「このタイプのねっちこい霊魂って、完全憑依させてからじゃないと浄化できないじゃん。でも『レベル4』にはタイムラグがある。ナイト様ならもちろん知ってるよな?」

 どういう……?

「オレの時計だとあと8分ってとこだわ。それまでに内に住み着いたヤツを、器から追い出せればちゃんの勝ちでイイよ。でもダメならこのまま喰われて確実に終わり」
「嘘……」

 まだ間に合うってこと? ここから奈良ちゃんを救い出せるの? でもいったいどうしたら……。
 私はすがるように隣にいるしーちゃんを見上げた。
 憑依した妖力者の状態と力を警戒しながら探っているしーちゃんのカオには、いつもの余裕は感じられない。簡単なことじゃないんだ。
 でもしーちゃんがいれば……しーちゃんと一緒なら……。


「さ〜て、お手並み拝見いたしま〜す」

 そう叫ぶと朱理は両手を大きく広げて、林を包み込むドーム型の結界をはる。
 そして足元の庭石に座り込むと、パチパチとまばらに拍手した。
 舞台劇を冷やかす観客みたいに。


   



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