◇     13.終わりと始まりの境  〜 紫己 〜  



     



 『結界』を破って部屋に侵入してきた僕らに、林という名の妖力者ようりょくしゃは顔をひきつらせて驚愕した。
 安っぽいレザーの黒ソファーにを仰向けで寝かせて、その身体を跨いで立て膝をついたままコチラに振り返る。


 妖力に満ちた空間の中心で、は虚ろながらもしっかりと精神をつなぎとめていた。
 そもそものもつ天力は格別なもので、こいつレベルに簡単に喰われるなんてことはまずナイ。
 だから心配してるのはそっちじゃなくて……さ。


 
 キャミワンピの紐がずり落ちて、むき出しになった華奢な肩。
 ギリギリまでめくれ上がっているスカートの裾。
 まるで『コトが始まる寸前』的な現場を目の前に、腹立たしさはピークに達する。

 僕はなるべく涼しいカオをたもって男に近づくと、何も言わずにその顔面を思い切り蹴り飛ばしてやった。



「ウぅぁ!」

 高く呻いてソファーから転げ落ちた林を一瞥だけして、そのままゆっくりとの上半身を抱きおこす。



「お待たせ、」

「……しー……ちゃん……」



 軽い催眠状態にあるのか、酔いがまわってきたのか。
 は首をカクンと揺らしながら力なく呟くと、僕の胸に身をゆだねて瞳をとじた。
 その重みと温もりに、安堵の息をついてから――。


(よし、リップはとれてない。……首すじに……変な痣もなし)

 最低ラインを確認して、形の良い額をふわりと撫でる。


「よく頑張ったね」






「……な、何だお前達は……! どうやって結界を……」

 床に無様に転がったまま、赤く腫れあがった口元を手でおさえて。
 林は突然現れた僕たちを交互に見上げ、声を震わせた。
 蒼が一歩前に出て、てのひらをヤツの頭上に力強くかざす。


「察しろ」


 短くピシャリと撥ねつけ、同時に浄化の体勢に入る蒼。
 その一部始終をぼうぜんと眺めながら、男は次第に恐怖で青ざめていく。


「てんりょくしゃ……?」


 力の差は歴然としている。
 下級妖力者には、天力を操る僕らに勝つ術はない。


     



「……浄化……するのか……? 何でボクを……」

 曲がった眼鏡のフレームを無意味に揺すりながら、林はガタガタと全身を痙攣させた。
 蒼は変わらず、冷徹な視線を向ける。


「さんざん人を喰らっといて、何を今さら」

「喰らったのはほんの少し、精神の一部だ! 殺したりはしてない!」

「同じだろ。妖力に侵された人間は、もう普通の生活には戻れない」

「……だってボク達はヒトを喰わなきゃこの姿を保てない。生きていけないんだ。仕方ないじゃないよ!」

「!」


 妖力者の悲痛な訴えに、蒼は微妙な迷いを見せた。
 集中力がとぎれ気が乱れたことで、全身に巡っていた天力が輝きを弱める。


「た、頼むよ! 見逃してよ!」

 蒼の優しさにつけこんで、林は涙ながらに懇願した。


「あと1人……あと1人だけ喰らえば、とりあえず当分は生きながらえるんだよ!」

「なっ……」

「その子……アリスちゃんで、最後にするからさあ!」



(!! っざけんなよ!)

 お前たちに、最後なんてナイくせに。


 林の身勝手な発言に、圧倒的な力を見せつけずにはいられなくなった。
 僕はフッと深呼吸し、その場で拾えるかぎりの『気』を一気に体内にめぐらせる。
 自然のエネルギー体を『天力』に変換して、光の渦を自由に操り――。生み出したのは金色の輝きを放った細く長い神剣、『沓薙くつなぎ』。
 左手でしっかりとを抱き寄せたまま、僕は天力の化身であるそれを妖力者の鼻先へと真っ直ぐに突き出してやった。



「ウザイんだけど」

 力を全身にみなぎらせながら、怒りをこめて吐きすてる。


「お前ごときが、うちのお姫さまをどーこーしようなんて。身の程知らずもイイとこなんだよ」


     




 蒼には天力者として、できる限りの経験をつませたい。
 だからこの4ヶ月間ほとんど手出しせずに、浄化はぜんぶ任せてきたけど――。

 コイツだけは何となく、自分で送らないと気がすまない。
 そう考えた僕はスヤスヤ眠っているをそっと両手で抱き抱え、背後に下がるよう蒼を呼び寄せる。



「僕がやるから」

 そして多小戸惑う蒼の腕の中に、を確実に受け渡してから――。
 振り向きざま間髪入れずに、林の頭上に勢いよく剣を振りおろした。



「うぅぅ……ぎゃあぁぁぁ……!!」


 縦に真っ二つに切り裂かれた人体から、住みついていた別の霊魂が耐えきれなくなって外へと飛び出す。



 ――浄化。
 汚れをとりのぞき、正しい状態へと導くこと。



 幼い頃から何度も繰り返してきたソレに、今さら感情を揺さぶられることもないんだけど……。
 林の存在が『無』になる直前、ヤツの魂は慟哭しながらこんな言葉を残したんだ。




「……スイ……シュン……サマノカ…………ガミ……デ…………」




「!?」

 耳障りの悪い、でも聞き覚えのある音節。


 ――スイシュン――。





 想定外の単語を耳にして、思わず林に問いかけそうになった。
 もうすでに、手遅れだというのに。









 残光に浮かぶ青白い霊魂の欠片、『タマ』を左手で回収した。


「天海……?」

 仕事をやり終えてもなお表情を緩めることのできなかった僕に、蒼が遠慮がちに声をかけてくる。


「ああ、ごめん。ちょっとボーッとした。終わったね。お疲れ」

「……お前、体は平気なのか? 今すごい容量の力を使ったように見えたけど……」

「ん? ああ、ソレはぜんぜん問題なし」

「全然って……」


 気力と体力の喪失を心配してくれる蒼に、僕は淡々と答えて笑ってみせる。

「この程度でどーにかなってたら、守護役ナイトなんて務まらないじゃん」





 蒼に抱きかかえられて眠るは、とても幸せそうなカオをしていた。
 モンブランを頬ばる夢でも見てるんでしょ? って、その柔らかそうな頬をつねってやりたくなる。


(無事で、ホント良かったよ……)


 このまま預けてても構わないのに、その温もりを急に自身で感じたくなって。
 僕はわざわざ蒼の足を止め、自分の腕にの身体を再び引き寄せる。



「あは。けっこう、重たい」

「……ああ」

「じゃ、ちゃっちゃと帰ろっか」

「ああ……」



 短い会話のあと、僕たちは無言でこの部屋を立ち去った。
 裏口をすり抜け、非常階段を降りながら。蒼はふと思い出したように唇を動かす。
 

「さっきの妖力者、最後……。アレ、何て言ってたんだ?」


 ワンテンポ空けて、僕はできるだけ穏やかに答えてやる。

「『スイシュンノカガミ』だってさ」


 厄介なのが引っかかってきちゃったよと苦笑いして、それ以上の説明はあえて避けた。
 だって今はまだ、少し休みたい。



 


 妖力者たちに『長』と呼ばれた尊崇の存在、祟峻すいしゅん――。



 そのモノの復位は、新たな災いを意味する……から。



 
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