◇     12.kiss……その後  〜 紫己 〜  





 何てことない軽いキスに、まさかの罪悪感。



 この僕が――。






 
 トイレから戻った事を大げさに歓迎してくれるデイジーさんに、僕はすぐさま濃い目のブランデーをリクエストした。
 誰に煽られるわけでもなく一気に飲み干してみせると、隣席の女の子達からも思いがけない拍手をもらう。
 
 いや、別に。
 キャストを喜ばせようと、テンションをあげたわけじゃなくて。
 やけにグルグルと蠢いてる脳内を、流し去りたかっただけなんだけど……。





 にキスをした。
 それもちゃっかり、舌までねじ込もうとしたりして。




 数分前にやらかした事を、今になって微妙に恥じている自分がいた。
 は幼なじみで、家族みたいなもので。なおかつ、『天子』の称号をもつ正当な血筋の天力者。
 イイ意味でも悪い意味でも、確実に周りにいる女の子とは違う存在。



(なのに欲情した? ……イヤ、あり得ないでしょ)

 思わず自問自答する。
 キスとか、それ以上のことを……とか、色欲の対象であってはならないのに。



(でも、だからこそ……)



 誰かに奪われるわけにはいかなかったんだ。

 甘やかして育てた、お気に入りの仔犬。
 僕が手懐けないと、意味がない。





 氷の残ったグラスを無意識にカラカラと揺らし、僕はチラリとパウダールームの方へ視線を投げた。
 化粧直しをすませたが扉を開け、ちょうどフロアーに戻ってくるのが見える。
 さっきも思ったけど、はやけに冷静だ。
 もう少し慌てたり意識したりの、女の子っぽい反応があっても良さそうなのに。
 コチラを気にすることなく、林のもとにスマートに着席したりして。



(ああ、そう。その程度って、コトね……)


 何だか、面白くない。



 にとって僕は幼なじみ。
 にとって僕は守り役。

 僕にとっては、いつでも優先順位トップのお姫さまなわけで……。



(……何か。腹たつんだけど)
 
 

 自分の罪を逆ギレで蹴散らして、僕はどうにか平静を取り戻した。
 わざとから視線を外し、女の子たちとの会話を素直に楽しんでみるけど――。
 数秒後、意図しない形で再び視界に飛び込んでくる。






 ボックスシートを離れた林がフロアーマネージャーの誘導を受け、ゆっくりと目の前を横切っていくところだった。
 目指すはメインフロアーの……、外? パウダールームの脇から続く、細い廊下みたいだけど……。
 そこはVIP客であるアイツが立ち入る理由のない、従業員エリアみたいに見える。



「……えっと……あの…………」


 少しして戸惑うようなの声が、微かに耳に届いた。 
 マネージャーに強く促され、オドオドしながら男達の背中を追ってくる。
 5番テーブルの前を通り過ぎる時、僕たちの視線が一瞬だけぶつかった。




 
      







(……。何で急に、そんなに不安気なわけ?)


 
 そうは思ったけど声をかけることはできなくて、ただ後ろ姿を見送る。



 3人が完全に視界から消えた。
 ――と思ったら1分後、マネージャーのみがフロアーへと戻ってくる。




(かなり引っかかるんだけど……)



 林はを、どこへ連れてった……?




 イヤな予感を感じとったのは、もちろん僕だけじゃなかった。
 客席を忙しそうに巡っていた蒼は軽く頷いて僕に合図すると、探りを入れるためにさりげなくこの場を離れていく。
 念のために……と、ペンダントに埋め込んだ盗聴器。
 蒼と繋がっているソレを、今は頼るしかないか……。




「――あ、あの娘。やっぱり『林部屋』行きみたいね」



 僕の視線がどこへ向けられているかに目敏く気づいて、左隣にいたデイジーさんは多少おもしろくなさそうに呟いた。



「ハヤシベヤ……?」



 この際、キャストの機嫌を損ねたコトなんてどうでもいい。
 ただ意味ありげな含み笑いを見せたことが気になって、ストレートに訊き返す。



「みんなで、そう呼んでるんですよ。あっちにあるVIPルームを」

「別室があるの? ふ〜ん。そんなの入店時に言われなかったけど」

「ふふっ。だから『林部屋』なんですよ。気に入った女の子を連れ込むための、あの人専用の個室」




 彼女はショートヘアーをさらりと揺らし、更に言葉を続けた。



「ちょっと前まで「キモイ!」「あり得ない!」 を豪語してた女の子達も、あそこから出てくるとやけに林さんに従順なんです。
何が行われてるか、なんて知らないけど……。私達レギュラーの間じゃ、相当な額が落ちてるんじゃないかってウワサで……」



 そんなVIPルームが林の通う店舗全部に存在するらしいと、デイジーさんは教えてくれた。
 ここはピンクなしのキャバクラだけど、あの部屋でだけは何が行われてるのか怪しい――とまで付け加えて。




(……!)



 可愛い女の子たちに囲まれてるっていうのに、すでに営業用の笑顔を浮かべる気にはなれなくて、僕はグシャッと乱暴に前髪を
かきあげる。
 男に免疫ゼロの。金で動くことはないにしろ、きっといとも簡単に隙を見せる。
 まして男の下心を見抜いて上手く交わす術なんて…………身につけているワケがない。



(ヤバイ……。キスどころの話じゃないじゃん)



 心臓が久しぶりに乱れて脈うった。
 そんなとき蒼から2度目の合図を受けて、僕はおもむろに立ち上がる。


「ちょっと仕事の電話入れてくるね。長くなりそうだから……2人とも好きなもの頼んで適当にやっててよ」





 パウダールームに行くふりをして、脇にある従業員専用のドアに体を滑りこませた。
 ヒト1人がやっと通れるていどの狭く薄暗い廊下。突き当たったその先で待っていた蒼は、1枚の扉を親指でさし示す。



「天海。アイツらはこの部屋に入ってった」

「盗聴器は? 何か拾えた?」

「いや、今のところ変わった様子はない。ただこのドア、ロックかかってるみたいで……」

「ふーん、ずいぶん念入りじゃん。ねえ、蒼。念のためにスペアー探してきてくれない?」

「分かった」




 蒼は静かに頷くと左耳から外したイヤホンをこっちに放って、スタッフルームへといったん姿を消した。
 受け取ったワイヤレスホンを自分の耳に押しこみ、僕はじっと息をひそめる。





 ザザッ   ザザッ


『……へえ、そうかー。アリスちゃんは1人暮らしがしたくて、このバイトをやってるんだー…………』

『そうなんですよぉ。どうしてもお金をためたくて……』


 ザザッ  ザーザー



 の胸元で揺れている盗聴器からは、林とのそんな他愛ない会話が聞こえてきた。
 多少ノイズが入ってはいるものの、感度は悪くない。十分、つかえる。




 ザーッ  ザッ


『……でもさ〜、何で家を出たいわけ? あっ、彼氏と一緒に住みたいんでしょ?』

『違いますよぉ! うち、お父さんがすごく厳しくて……。ヤなんです、家にいるの。だから……』

『へぇ〜。嫌いなんだ、お父さんのこと』

『キライっていうか……怖いっていうか……。とにかくあの家から離れたくて……』


 ザッザッ  ザッ




 身の上話か……。キャバクラ会話の基本だよね。
 普通はキャストが相手の男に『特別感』を与えるために使う、常套手段なはずなんだけど……。
 は反対に、男に上手く引き出されてる感じだ。ほとんど素で喋っちゃってるし。




 ザー  ザー


『お父さんがいなきゃって、考えたことはない?』

『えぇー。毎日ですよぉ! 口うるさいし、何でも頭ごなしに決めつけるしで、ホント窮屈ですもん!』


 ザッ




 笑い声混じりのそんな会話の後、林が急に意味深なセリフを口にする。




 ザッ  ザザッ


『……ボクがアリスちゃんの望む世界に、連れて行ってあげようか?』

『……え……私の望む世界……?』

『ウン、そう。煩いお父さんもいない、ストレスも何も感じない。ただ静かで、優しい世界』


 ザザッ  ザッ



(何言っちゃってんの、コイツ。マジで、うざいんだけど)


 ウチのお姫さまを個室に連れこまれたっていう苛立ちもあり、思わず心の中で毒を吐くけど――。
 驚いたのはそれに続く、やけに従順なの反応。

 

『……うん……行きたいな…………』



 ――!?




 そしてその直後、壁1枚隔たった空間で強い妖力が放出されたのを感じた。




(何だよ、いきなり!?)
 
 予想外の展開に思わず叫びたくなるのをグッと堪える。
 

 闇につけこまれた――。
 が奥底にもつ『不満』と『不安』というひずみに、うまく妖力をシンクロさせる形で。
 ヤバイ。てっきり店外で尻尾を出すと思ってたのに。
 こんなに堂々と。目の前でやられるなんて。
 


(……は!?)

 そこから盗聴器はノイズさへも拾えなかった。気づかれて握りつぶされたか、衝撃で壊れたか。
 とにかく、このままではいられない。
 アイツはを喰らおうとしているんだ。

 鳥肌がたつ。





「天海! 今の……!」


 数秒後、珍しく声を荒げながら蒼がコチラに駆けもどってきた。
 このまま『林部屋』に突っ込むんじゃないかって勢いをいったん制し、僕は「シッ」と人差し指を口元にあてる。
 


「……あ、天海。悪い。何かすげー、イヤな『気』を感じて……。は? 無事なんだよな?」

「それがさ、音信が途絶えちゃって」

「な!? 危険なんじゃねーのか? だって今のは……」



 距離があったにも関わらず、蒼レベルでさえはっきりと感じとれた妖力。
 ホントにヤバイ……かもしれない。



「人気のないとこでって思ったけど、作戦変更だね。このままアイツんとこ乗りこんで、一気に浄化する。――蒼、
鍵は手に入れられた?」


 差し出した僕のてのひらを前に、バツ悪そうに首を横にふる蒼。


「イヤ、それが無い。もともとあの部屋、鍵は壊れてるって」

「は?」

「だから開かないはずはねーって、コトらしーんだが……」

「!」



 『結界』か――。
 あの程度の妖力者に、そんな力があるとは思えないんだけど。



 そう考えて、回転式のドアノブにゆっくりと右手を伸ばす。パチンと静電気が弾けるくらいの衝撃があった。
 目に見えない波妖気はようきのオブラード。
 たしかに結界らしきものは張ってあるみたいだけど――。これじゃあ、素人の『真似事』といったところだ。



(なめんなよ)


 これくらいならどうってコトない。
 簡単に侵入できる。
 



       

 


 僕は右手を勢いよく振り上げ、内にある天力をそのこぶしに集中させた。
 湧きだす熱い光をそのまま解き放つように扉にむかって投げつけると、小さな火花が音もなく散って結界が壊れる。




 バンッ!


 ドアを乱暴に押し開けて、僕たちはダイブするみたいに『林部屋』にのりこんだ。
 どす黒い空間の中で、最初に目に飛びこんできた光景。
 それはソファーに横たわった状態で男に馬乗りになられた、虚ろな目をしたの姿。


 


 キレる理由には、十分でしょ?




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