◇ 7.お姫様への捧げもの 弐 〜 紫己 〜
「きゃっあ。コレ、わざわざ買ってきてくれたの!?」
アンティークな和テーブルを囲み、井草が香る『光の間』で3人が談笑している中――。
モンブランを差し出した時のの反応は、僕の予想を少しだけ上回るものだった。
大きな瞳をキラキラさせて、花を咲かせたみたいにパッと笑って。
「しーちゃん、大好き!」
そう満面の笑顔で、僕の首もとにギュッと飛びつく。
無邪気で可愛い、かつ大胆な行動。
ふわふわの長い髪が首筋にふれて、その後の色っぽい事柄を連想させられなくもない。
レベルの女の子にこんな風にされたら、普通の男ならあっさり落ちてしまうんじゃないだろうか。
でも僕はいたって冷静。
絡みつく華奢な腕と甘いシャンプーの香りを顔色1つ変えずに受けとめながら、向かいの席にゆったりと腰を下ろす。
「ハイ、ハイ。これで昨日の件は、チャラだからね」
静かな口調でそう念押すことも忘れずに、の柔らかい頬をウニッとつまんでやった。
お気に入りの仔犬が抱きついてきた。それくらいにしか感じないのは、一緒にいすぎるせいかもしれない。
「は〜い」
能天気な返事を返して、サッサとケーキの箱だけを奪っていく。
コイツもまた、僕のことを男として見たことなんてないと思う。
『REAL』の人気モデルを前にこんな幼稚な態度を平然ととる女の子なんて、ぐらいだ。ホント。
「いや〜ん、美味しそう! ね、早速いただいてもイイ?」
茶色い化粧箱を開きモンブランと対面したは、よりいっそう表情を輝かせる。
「イイけどさ。もうすぐ夕食だって言ってたよ。後にすれば?」
「え〜、待てないもん。とりあえず、一個だけ。ね?」
「じゃあ、どうぞ。お好きなように。あ、蒼と八純の分はちゃんと取っておきなよ。……って、聞いてんの? ねえ」
「は〜い。ふふっ。いっただきま〜す!」
(……まったく、手づかみですか……)
頭イタイ。
この子供っぽい性格は、何とかならないものだろうか……。
思わず鼻で笑って、僕は隣にいた蒼に何気なく目をやった。
――がその瞬間、ちょっと気まずいといった感じで視線をそらされる。
(うわっ。ゼッタイ今、『バカップル』とかって、思われた)
イチャイチャしてる男女と、たまたま同じ電車に乗り合わせてしまった時のような。
どっちを向いていればイイのか困るんだけど……って感じの微妙な反応。
ただの幼なじみだって言ってるのに、以前から蒼はそこんとこを軽く聞き流してるフシがあって。
たまにこんな態度を示したりする。
(う〜ん。いちいちメンドイし……。まあいっか)
「だから、ただの幼なじみだって!」と本当は弁解したいところだけど。
今日は八純もいる。
が静かなうちに、しなくちゃならない話もある。
そう判断した僕は蒼の誤解はスルーして、テーブルの上に先ほど手に入れた『バンビーナ』のビラとポケットティッシュの
広告を広げた。
「コレが知りたかったんじゃない? 八純の考えてること、たぶん当たってるよ」
蒼が顔色を一変させる。
その様子に、僕が現れる前に2人の間で大体のことが話されたんだろうなと、予想できた。
八純はビラを手に取りゆっくり目を通すと、視線を上げてやんわり微笑む。
「お疲れ様、しーちゃん。それじゃ今回の事件、オレなりの見解を述べてみようかな」
まとめておいた事件の資料をおもむろに取り出し、それを元に八純はこれまでのことを1つ1つ振り返った。
そもそも今回の事件は、今月の初めに中野で発見された妖人が発端だった。
記憶を完全になくし、夜の街にワンピース1枚で投げ出されていた20代の女の子。
そしてその1週間後同じ沿線上にある立川で、またしても似たような妖人が見つかってしまう。
職場も住んでる所もバラバラの2人の共通点は、ただ『OL』ということだけ。
昨日まで僕たちは、若い女性のみを無差別に喰らう妖力者の仕業だと考えていた。
でも……。
3人目の妖人が発見されたことで、彼女達の共通点が明確になる。
『Wワーク』 『キャバクラ』 『同じ指名客』
華やかなゆえ、濃い影の生まれやすい夜の世界。
そこに浮かびあがってきたのが、『50歳前後の品の良い中年男』と『30代の金髪メガネのヲタ男』。
妖力者は初めから2人存在していたんだ――。
「俺が片割れを浄化してる間に、もう一方が新たな人間を喰らってたってことか」
ふざけた真似を……! と、蒼はめずらしく怒りをあらわにした。
終わったと簡単に考えていた自分自身が、何となく許せないんだろう。
責任感の強い、真面目な蒼らしい。
僕はふわりと前髪をかきあげる。
「でもさ、急に店から消えても不思議じゃない夜のバイトの子。それも表の顔をもっている女の子ばかりを狙うあたりが、
何か手馴れてる感じがするよね」
プラス、系列店の女の子ばかりなんて。
個人趣味に走ってるとしか思えないでしょ、コレは。
僕の表情から心の声を読みとって、八純はふふっと品良く笑う。
そしてテーブルにビラを戻すと、人差し指でポンッとその中心を弾いて呟いた。
「うん。だからすぐにまた、次を喰らうと思うんだ」
2日後にオープンする『バンビーナ』。
仲間がすでに浄化されたことなど知る由もない『強欲の妖力者』は、きっとそこで再び黒い羽を広げるに違いない――。
八純はそう確信しているようだった。
「分かった。それじゃその店を張って、もう一方の妖力者が出入りするところを捕まえればいいんだな」
蒼が鋭く目を細める。
「うん。でも実際、金髪メガネの男というだけでは捕らえにくいかもしれない。妖力を滲ませたところを、一気に浄化しないと」
サラリと黒髪を揺らし、八純は口元に手をあてて考え込むポーズをした。
「次のターゲットが妖力に惑わされた瞬間を、狙えってことか?」
「そうですね。敵の存在がはっきりしない限り、そうするしかないかな」
「……。前もって狙われそうな女をリサーチして、ガードか。厄介だな。相手の協力が必要だし、1から説明するとなると……」
「理解して頂くのは困難かもしれませんね。――だからもっと、確実な方法でいきましょう」
蒼とのやり取りの中で含みのある言い回しをした八純は、その後チラリと僕を一瞥する。
「しーちゃんは、どう考える?」
そしてニコリと穏やかに笑み、今度は『アルバイト募集』の文字がデカデカと掲げられている、ティッシュの広告を指で弾いた。
(うわっ。八純が何考えてるのか、イヤでも分かっちゃうんだけど……)
おとり作戦。……とでも、銘打てばイイんだろうか。
そしてソレを、あえて僕に言わせようとする。
個々の性格と役割を把握しているからこその、見事な立ち回り方。
敵わない。
やっぱりスーパー高校生だよ。
八純は……。
彼から受けた視線をそのまま正面に流して、僕はフッと軽く息をつく。
視界には、ケーキの箱を抱えて眉をひそめるの姿だけが映った。
私には関係ない――。
そんな風に思っているのか仕事の話には一切口を挟まず、2つ目のモンブランに手をかけるか否かで葛藤している様子。
そんなのんきなお姫さまのご機嫌をうかがうのは、やっぱり僕の仕事みたいだ。
「ねえ、」
彼女の口もとについた粉砂糖をサラリと拭いながら、わざと甘い声で囁いてみる。
「アナスイの新作ワンピ、欲しくない?」
ええ? と驚きながらもその瞳が明るく揺れたのを、僕はもちろん見逃さなかった。
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