「こんばんは、アリスさん。とりあえず水割

り、お替りね」



(…………しーちゃん!?)




 呼ばれたその先でゆったりと椅子に腰かけ

ていたのは、見慣れたいつもの顔だった。

 両サイドにはすでに女の子をはべらし、や

けに慣れた感じで空いたグラスを指差す。



「こ、こんばんは。ご指名ありがとうござい

まぁす」

   


 私は驚きを隠しつつ、マニュアル通りに可

愛くお辞儀をしてみせた。



 一体、いつから来てたんだろう。

 そう言えばさっき、店内が急に色めき立っ

たような……。



 誰が見ても美形男子のしーちゃんは、この

偏った趣味のお店でまぎれもなく浮いている。


 キャストの女の子だって、そりゃあキモチ

悪いおじさんを相手するより、こっちがドキ

ドキしちゃうような男の子を接客したいに決

まってるものね。



 だから、ヤダなぁ。


 もし私がしーちゃんの彼女だったら、こう

いうお店には絶対出入りして欲しくない。



 そこまで考えて、ハタッと気づく。


(蒼くんは!? まさか一緒に来てるんじゃ

ないよね!?)



 ヤバイ! ヤバイ!

 知らない女の子が、蒼くんにベタベタする

なんて、絶対にイヤ!



 想像だけが先行し、心の中を不安定な感情

が揺れ動いた。

 すぐさま辺りを見回す。でもそれらしい姿

は見当たらず、ココ以外ザワついた様子のテ

ーブルもない。



(良かった……)


 とりあえず胸をなでおろし、私は音をたて

てしーちゃんの正面に座る。

 落ち着きのないひきつった笑顔。


 それを見たしーちゃんは私にしか分からな

い程度に嘲笑し、「何やってんの?」と唇を

動かした。






「アリスちゃん。知ってる? この人、モデ

ルの『紫己』だよ!」


 向かって左側にいる優しそうな顔立ちの女

の子、えっと確か……マリーちゃん……が、

そう親切に教えてくれた。



 あ、うん。知ってる。

 さっきまで一緒にゴハン食べてた……。


 なんて言葉をもちろん飲み込んで、私は控

えめにグラスを取る。


「へー。そうなんだぁ……」


「ふふっ。ラッキーだよねぇ、私たち。3人

だけ指名もらっちゃったんだよ。ほら待機の

女の子達、すごい羨ましそうにコッチ見てる」



 ああ。この背中に感じるイヤな視線は、そ

ういうワケなのね……。


 慣れない手つきでブランデーを注ぎ、マド

ラーをカラカラ鳴らしてから、私は黙ってグ

ラスを差し出した。


「ねー、アリスさん。す・い・て・き! お

客様にドリクをお出しする時には、グラスを

拭わなきゃダメじゃん。いくら体験だからっ

てさ〜」


 向かって右側の勝気そうな女の子が、私を

ギラリと睨みつける。


「あ、ごめんなさい。知らなくて……」


「っていうか、気配りの問題じゃん?」


「……えっと、こうかな?」


 膝に広げていたハンカチでグラスをもう一

度持ち上げようとしたんだけど、直前で彼女

にピシャリと撥ねつけられた。


「もうイイよ、あなたは手を出さないで!

紫己さん、ゴメンね。この子新人だから。あ

たしが全部するから、あたしに言ってね」


(うわぁ。コレが夜の世界!?)




 センパイキャストにやり込められて困惑す

る私を、しーちゃんは笑いを堪えながらただ

見ていた。




(うぅ〜。ちょっとぉ、ずいぶんイイご身分

じゃない?)

   


 私にだけこんなシンドイ役を押しつけて。

 自分はのんびりゲスト気分?



(しーちゃんってば、何しに来たのよぉ)


 納得いかない役回りに不満をあからさまに

カオに出し、私は口を尖らせて上目づかいで

睨みつけてやる。


 それを見たしーちゃんはヤレヤレといった

感じで髪をかきあげ、隣で目をハートマーク

にさせている勝気ちゃんにニコリと営業スマ

イルを向けた。



「デイジーさんってプロ意識が高いんだね。

そういう子、好きだよ。尊敬する」


 そんな〜! と体をくねらせて謙遜する彼

女を見つめて、更に言葉を続ける。


「ホント、あの人の言ってた通りだ。……え

っと、ほら何て言ったっけ……。中野の店に

いたリナちゃんをよく指名してた、金髪でメ

ガメかけてる…………」


 しーちゃんの口から聞き覚えのある単語が

飛び出して、私の体は一瞬ピクッと反応した。


「え、林さん? 知り合いなの?」



 は・や・し。

 『金髪メガネのヲタ男』は夜の街でそう名

乗っているらしい。


 目の前にいる『モデルの紫己』と、さえな

い30代男がどうしても繋がらないのか、勝

気ちゃんは目をパチパチさせて身を乗り出す。



「あの人って、ウチの常連なんだよ。ちょっ

とヲタクっぽくて不気味なんだけど、金回り

がイイから女の子が途切れないの」


 彼女がそうカオを歪ませると、今まで穏や

かに微笑んでいたマリーちゃんは「ああ」と

思い出したように呟いた。


「私が前にいた立川のお店にも、その人はよ

く来てたなぁ。『10時15分の男』って呼

ばれてた」


「10時15分……?」


 しーちゃんの視線がふいに自分に向けられ、

マリーちゃんはフワッと頬を上気させる。


「う……うん。その時間になると現れてたの。

……このお店にも、きっと来るんじゃないか

な。ちょっとロリータっぽい女の子が好みだ

ったみたいだし」


「そうそう! いっつもツインテールにミニ

スカの女の子ばっかり、指名してたよね。ほ

ら、アンタみたいなさー」


 勝気ちゃんは私を人差し指でつつきながら、

ケラケラと豪快に笑った。




(ううぅ。やっぱり来るんだ……)


 『金髪メガネのヲタ男』像が具体化してき

たことで、これからの闘いが急に現実味をお

びる。


(そろそろ心しておかないと……)

   


 自分の役目の重要性をあらためて感じ、背

中のあたりがズッシリと重い。



 トータルで判断するかぎり、『ドキドキし

ちゃうような男性を接客』というわけにはい

かないみたいだ。



 妖力者にまともなヤツなんていない。

 分かってたけど。

 覚悟してたけど。



 やっぱり多少、不安になる。


 というかそれ以前に、私はその男に気に入

られるコトができるんだろうか……。




 ほぼ、恋愛未経験。

 裏ワザなんて、もちろん知らない。


 そんな私が、人の心に入り込むなんて――。




(ココから1人でやらなきゃいけないの? 

まず、どうすればイイのか教えてよ……)


 目の前にいるしーちゃんに、そう泣きつき

たかった。

 でもみんなの前でそんな話ができるはずも

なくて、ただ心の中で哀願する。




「アリス……さん」


 表情を曇らせた私に気づいてか、彼は長い

右手をスッと伸ばして、私の頬に優しく触れ

た。



(……しーちゃん…………)


 その温もりに、思わず目が潤みかける。



 ……が、それは次のしーちゃんの言葉で、

完全にかき消されることとなった。




「――って顔、プニプニじゃない?」





「なっ……!?」





 5番テーブルを包む空気が一瞬固まる。

 のち、2人の女の子から押さえたみたいな笑

い声がもれた。



「紫己さんってば、ヒド〜イ」

「そうですよ。女の子にそんな〜」


「だってホントなんだもん。ケーキでも食べ

すぎてんじゃない?」



 な……何を急に!?

 気にしてるのに…………。

 っていうかソレ、今関係なくない!?


 思わず怒りを露にした私におかまいなく、

しーちゃんはしれっとした顔で続ける。



「撮影時に教わった小顔メイク、僕がやって

あげよっか」


 …………!

 けっこうですっ!!



 堪えきれずつい叫ぼうとした私。

 その口元を瞬間的にグニッと指でつまんで

塞ぐと、しーちゃんは「しっ」と小さく私を

制する。


 そして横にいた勝気ちゃんに振り向き、柔

らかく微笑みかけた。



「ねー、メイク道具集めてきてくれないかな。

裏にあるでしょ? ディジーさんのセンスで、

色々とさ」


「え、うん。イイよ! そのかわり、私にも

やってくれない?」


「もちろん。君が望むならね」
 

「きゃあ、嬉しい! じゃあ、少し待ってて!

いっぱい探してくるから」



 上機嫌で席を立ち、彼女が奥へと消えてい

くのを確認すると――。

 今度はマリーちゃんの顔を、斜めに色っぽ

く覗き込む。



「……あ、マスカラ。ちょっと下に滲んでる」


「え?」


「直しておいでよ。待ってるからさ」


「あ、うん!」



(……あ……ウソ……)




 気づくと願い通り、私はしーちゃんと2人

だけになっていた。



(相変わらず、すごい……)


 自分の武器を最大限につかい、上手に人を

動かすテクニック。

 お見事、としか言いようがない。





「、これで良かったんでしょ?」



 あっという間に人払いをしたしーちゃんは、

なだめるように私の頭をクシャリと撫でて、

いつもの自信に満ちた顔で笑った。



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