◆     10.朱理の正体 


 朱理の張った結界の中は、雪の夜の静けさにとても似ていた。
 淀みのない空気と、心地の良い協和音。もっと禍々しいものを想像してたのにかなり意外かもしれない。
 それでも外界とを隔てる異空間に閉じ込められたことに変わりはなかった。
 逃げ場を失ってしまった私達は、ここで覚悟を決めるしかないの。




「、深呼吸して。ここまで憑依が進んじゃったら、僕には奈良ちゃんの身体ごと切るしか出来ない」

 しーちゃんは10メートル先で蠢いている妖力の塊から目を離さずに、天力の化身である細い刀を素早く構えた。

   


 身体ごと切る? それじゃあ妖力者の浄化と何も変わらない。
 奈良ちゃんの精神が戻れる場所がなくなって、彷徨ったタマを回収することになってしまう。

「ヤダ。それはダメ。そんなのイヤだよ!」
「だからね、がやるんだ」
「!」

 振り返らずに後方に腕だけを伸ばして、しーちゃんはなだめるように私の頭を撫でる。

「奈良ちゃんと妖力者はまだ一体化しきれてない。器に潜む『妖』を見極めて、そこだけを切るんだよ。天子の称号をもつなら不可能じゃないんだ」

 朱理が言ってた私の能力が見たいっていう意味が、やっと分かった。
 『天子』の称号――つまり八純と私だけが、憑依した妖力者の魂を身体から追い出す力があるんだね。
 自覚も自身もないけど、しーちゃんがそう言うなら間違いない。信じる。
 でもタイムリミットは8分って言った?  あー、早く剣を構えなきゃ間に合わない!
 緊張で足が震えるのを必死でこらえて、私は大きく頷く。

「……分かった。やってみる」

 激しく鼓動する心臓を落ち着かせたくて、言われた通り深呼吸をした。
 周囲に宿る自然エネルギー体である『気』をめいっぱい集めて、体内に巡らせて天力に変換させる。
 そしてその全てを右手に集結。一気にオーラの剣を形成して…………。したいのに……。
 イメージを強く頭に描いて生み出そうとするけど、雑念がそれを邪魔した。
 もし時間内に妖力の中心を見抜けなかったら? 見つけられても矛先を間違えてしまったら? 奈良ちゃんを永遠に呼び戻すことができなくなる!
 そう考えると不安は募り、掌に天力をうまく集中させることができない。

「やだ……早く……。早くキテよ!」

 焦りでますます心を乱しながら、自分の両手を乱暴に振り続ける。
 そんな姿を見かねてか、しーちゃんは包み込むように私の手を捕まえて目を細めた。

「ほら、落ち着いて。もう一度初めからやってごらん」
「あ……」

 冷えた指先を包んでくれる優しい体温に、少し冷静さを取り戻す。

「ゴメンね、時間ないのに。私の天子の力こんな時に役に立たないっ」
「大丈夫だよ、ならできる。だってここんとこ頑張ってたじゃん。いつ倒れるか心配なくらいにさ」
「でもたかが2週間だもん。勘を取り戻したって程度で、急にこんな大きな浄化……」
「ううん、なら出来るよ」

 しーちゃんは私を真っ直ぐに見つめ、そうはっきりと言い放った。

「ちゃんと見てたからさ。今のなら奈良ちゃんを救えるって知ってたから、あえてこの結界に残ったんだよ」
「え……」
「僕がフォローする。ほら、目を閉じて。ここに手を合わせてごらん」
「……うん」

 導かれるままにしーちゃんの手に自分の手を上から重ねると、フワッと全身に強い天力が流れ込んできた。
 信頼? 尊敬? 愛情?
 よく分からないけど、それはすごく柔らかく崇高なオーラで――。
 普段は意地悪なことばっかり言って子供扱いするくせに、このタイミングで一人前扱いなんてズルイって思った。
 こんな気持ちのこもったものを送られたら、もう泣き言なんて口にできないよ。
 やっぱりしーちゃんには敵わない。
 2人のオーラが入り混じって生まれた光の剣は今までにない輝きを放って、私の右手に確かな感触を伝えた。








「2人って天然? それともわざと見せつけてんの?」

 大きな庭石に足を投げ出して座ったまま、朱理はわざとらしいため息を加えてそう言った。

「そーゆーのってさぁ、奈良ちゃんの劣等感を煽るだけなんですけど。あ、もしかして作戦? じゃあオレも協力しちゃおっかな〜。ちゃ〜ん愛してるよ。ガンバレ!」

 いい加減にしてよ! なんて、文句を言う暇もなかった。朱理の叫びを合図に、奈良ちゃんの中にいる妖力者の攻撃が始まったの。
 地響きと共にまず最初に打ち込まれたのは妖気の矢。しーちゃんが素早く私の前に飛び出して、キンッと高い音を響かせながら刀で弾いて交わす。


「マタ オトコヲ タテニシテ……」

 妖力者は苛立った様子で地団太を踏み、毒々しいオーラを発火させる。

「オマエ ナンカ キエテ シマエヨ!!」
「!」

 
 悲痛な叫びにも似た憎悪の念は、私1人に向けられていた。自分が生きる為にエサとして精神を喰らうつもりで狙ってるのとは明らかに違う。
 立ちふさがる邪魔なものを目の前からただ排除しようとする自己中心的な欲望は、やけに生々しく人間的だった。
 これは理性の奥にしまわれていた、私に対する奈良ちゃんの本心なのかな?
 次々に打ち込まれる鋭い妖気に、しーちゃんは防戦一方で対抗する。時間をかせいでくれてるうちに狙いを定めなきゃいけない。このままじゃ体力が奪われちゃう。
 でも妖力の中心ってどこにあるの!?
 後ろに隠れてるばかりじゃ本質を見いだせない気がして、次の攻撃に合わせて前方に一歩足を踏み出した。
 ヒュンッ!
 向かってきた妖気を左右に割ると、風を切るような鋭い音が大げさに響く。

「!」

 突然飛び出して剣を降りかざした私に、しーちゃんは心配そうな声を上げた。
 指先が小さく痺れてるけどケガはしてない。「大丈夫」とだけ返して、私は手応えを確かめるように自分の手を擦り合わせる。
 久しぶりに切った妖力は想像してたよりも何だかずっと軽かった。集中的に師範代の柏原に鍛えてもらってたとは言え、こんなに容易いものだろうか。
 器と精神のバランスが不完全なんだって思った。妖力者の霊魂が彼女の体をコントロールできてないの。
 これって憑依のタイムラグのせい? ううん、きっとそれだけじゃない。

「奈良ちゃんの心も闘ってるんだ……」
 
 思わずそう声に出すと、コップの水が溢れるみたいに彼女と過ごした時間が一気に甦ってきた。
 右も左も分からない事務仕事での不安を、笑顔で吹き飛ばしてくれたこと。
 初合コンはドギマギしたけど何だかんだ楽しかったよね。
 昼休みにいっぱい恋バナして、仕事中にも止まらなくて先輩達に注意されたのに。仕事が終わっても足りなくてカフェに駆け込んでまた語った。
 朱理への気持ちを口にする奈良ちゃんはキラキラしてて、とびきり可愛くて。
 天力者なんていう立場も忘れて友達でいたいと本気で願った。それは奈良ちゃんも同じ気持ちだったって信じてる。
 でも知らずのうちに傷つけてたんだよね。妖力者に狙われていたとはいえ、心を乱す原因を作ったのは私なんだ。
 ゴメンね、疎くて。その場で気づいてあげられなくて。
 私が開いてしまった傷口なら、私自身の手で治してあげたいよ。

『妖力を切り離す』ってしーちゃんも朱理も言ってたけど、これ以上刃を向けるのはイヤだと思った。
 霊魂を身体から追い出すなら別の方法がいい。剣術を使わない別のやり方が。
 きつく唇を結び、私は少しずつ奈良ちゃんに近づいた。
 向き合ってもう一度笑い合える未来を心に強く描きながら、握っていた剣を迷いなく投げ捨てる。
 天力がいつもの倍の早さで身体中を駆けめぐり、風の流れも周囲の音ももう何も拾えない。
 真っ直ぐに見据えると、灯を失った無機質な目が私を捉えて一瞬怯んだ。
 それを逃さず目映い光の中ゆっくりと腕を伸ばし、心のままに彼女を胸にぎゅっと抱き寄せる。

「奈良ちゃん、戻ってきて……」


   

 
 強く願ったその想いは、浄化というより『治癒』に近かったのかもしれない。
 私の内側から発光した光が手の平だけでなく全身を丸く大きく包みこんで、周囲の膨大な妖力を吸い込んだ後、全てを『無』に変えて弾けた。



「……ウアァァ……ァガァーーー!!」

 

 妖力者の霊魂が軋んだドアみたいな音で絶叫し、奈良ちゃんの胸のあたりから転げるように外へ飛び出した。


「……っ!」

 しーちゃんと朱理が同時に息を飲んだのが分かって、私はふと自我を取り戻す。
 頭上に浮遊してる握りこぶし程度の白い人魂……これが憑依していた霊魂? 身体から追い出せたの?
 慌てて腕の中にいる奈良ちゃんを確認すると、さっきまでの禍々しさは嘘みたいに消えていた。
 気を失ってはいるけど背中は温かく表情は穏やかで、精神を取り戻せたんだって確信できる。
 良かった!!


「、まだ終わってない!」

 安心したのも束の間、最後の力を振り絞るようにその霊魂が妖力をまとって突進してきた。
 意識のない奈良ちゃんにもう一度入り込む気なんだろうか。
 思わず彼女を覆うように地面に伏せると、しーちゃんは咄嗟に私達の前に飛び込み盾となる。
 ビンッ! と、引っぱったゴムが切れるような音がした。しーちゃんは珍しくバランスを崩しながらも、手刀で霊魂を跳ね返す。

「しぶといね、まったく……。うっかり掠っちゃったじゃん」

 あまりにも強い念に、鬱陶しそうに顔を歪める。
 ぶつかり合った光と闇に、思った以上に衝撃が走った。ただの霊魂にまだこんな力が残ってるなんて……。

「しーちゃん大丈夫!?」

 心配で駆け寄ろうとした私を、しーちゃんは身振りで制して「大したことないよ」って笑う。

「それよりはダメージない? まだ動けそう? 最後に奈良ちゃんを連れて、結界ギリギリまで離れて欲しいんだけど」
「え? でも……」
「は十分役目を果たしたよ。後は僕が片付ける」

 そう言ってしーちゃんがもう一度天力を巡らせ、浄化の体勢に入った時だった。
 ここまで黙って傍観してきた朱理がゆっくりとこちらに歩み寄り、ポケットから何かを取り出して浮遊する霊魂へとかざす。

「!?」

 緑がかった鉄製の縁取り、紋模様の装飾。『祟峻の鏡』に間違いなかった。
 あれは妖力の増幅器の役割を果たすものだって言われてる。それを霊魂へと向けて、いったい何をする気なの?

「朱理!」 

 イヤな予感しかしなくて、縋るようにただ名を叫んだ。
 彼はもちろん気に留めることもなく、鏡をパタパタと前後に振って「こちらに来い」と人魂を招く。
 青白いそれは助けを求めて、もしくはより強い妖力を欲して、星が落ちるみたいに一直線に鏡を目指した。
 2つの妖が結びついてしまう!?
 その先の出来事に恐怖して身を縮めた瞬間、朱理はギリギリのところで手首を返し眩しいほどの光のオーラを放つ。


   


「器から追い出された時点で、負けだって言ったじゃん?」

 穏やかな口調で霊魂に語りかけた後、圧倒的な力をぶつけて粉砕した。


 浄化――。


 
 目を疑うような光景がそこには広がっていた。
 妖力者に対抗できる唯一の存在が、天力者だって言われてる。浄化できるのは私達の力だけだって。
 何で? どういうこと? この人は仲間――なの?
 朱理はオーラを調節するのが上手くて、そう言えば確かな妖力を発したことがない。
 ただ発言や思想や価値観が危うくて、いつも背後に黒ずんだ闇色のオーラを見え隠れさせてたから、妖力者だって決めつけて『祟峻』じゃないかとさえ疑ってた。
 彼に対する嫌悪感が、私の心の目を曇らせてただけなの?
 何が何だかよく分からなくなって、瞼をこすってもう一度朱理を見る。
 身体を巡っている透明感のある光は明らかに天力。それもつい最近身につけたものとかじゃなく、かなり鍛えられたものだって分かる。
 レベルはもしかしたら、しーちゃんと同等かもしれない。


 光の粒がキラキラと空中を舞う中、軽い足取りで近づいてくる朱理に私はただ呆然とした。
 結界を緩やかに閉じ見えない壁を消失させてすぐ、彼は澄んだ風をまといながら奈良ちゃんの顔を覗き込む。

「うわ〜スゲェ。ほぼ無傷じゃん」

 頬に優しく触れてニコリと笑んだ。

「良かった、このお姉さん気に入ってたんだよね。パワーありありで、他人のことなのに一生懸命でさ。こんな出逢いじゃなかったらカレカノになれてたはずなんだけど」
「朱理……?」
「ちゃんアリガトっ。奈良ちゃんを救ってくれて」
「!」


 困惑するなって言う方がムリ。
 誰なのこの人? どうして急にこんな笑顔を見せるの?







 

 気絶したままの奈良ちゃんが心配で、とりあえず柏原を呼びつけて病院に運ばせた。
 平穏を取り戻した境内に3人だけになって、しーちゃんは溜息を落としながら朱理に詰め寄る。


「ねー、急に戻ってきてどういうつもりなわけ? 朱理」

「えっ!?」


 厳しいながらも親しげな口調でそう投げかけたしーちゃんに、私は驚きの声をあげてしまった。
 知ってるの? いつから?
 情報が整理しきれなくて目を丸くしたまま2人の顔を交互に見る。


   



「ケジメだよ、ケジメ!」

 朱理はしーちゃんを一瞥して、そう乱暴に吐き捨てた。

「この8年間ずっと追ってたんだ。親の尻拭いは息子の仕事かな〜って」

 持続力あるだろ? なんてわざとおどけて見せると、彼はおもむろにポケットから『祟峻の鏡』を取り出す。
 そして前屈みになって視線を合わせ、私の手を包むみたいにそれを握らせた。

「天力者の正統な姫、ちゃん。確かにあんたに返したからね」

 ゴツゴツした金属の重厚感が妖しくて美しい手の平サイズの鏡。
 私が触れたのも8年ぶり。これはきっと偶然じゃないんだよね。

「あなたは……」

 一族の者だと確信はしていたけど、聞かずにはいられなかった。赤髪の華奢な男の子は目を細めてちょっと気まずそうに答える。

「桜木朱理。天力者のくせに妖力に侵されて裏切った、バカな当主の1人息子だよ」


 『桜木』の名前で蘇るのは、私が小学生の時に目にした浄化の光景。
 しーちゃんの天海家と並んで代々我が家を支えてくれていたという分家が、疎遠になる切っ掛けとなった事件だった。
 宝物庫にあった神器の1つを盗み出した男の人を、最終的にうちのお父さんが身体ごと『無』にした。
 集められた血族の全員が天主の圧倒的な力に敬意を示す中、私はその冷酷さに身震いしてこっそり涙を流してたんだ。
 そしてその時、正しい場所に帰った桜木のおじ様の『タマ』を拾いあげて、泣きじゃくる同じ歳の男の子をよく覚えている。
 桜木家次期当主だって、周囲が教えてくれた。あの時の子が、この朱理なの? 


「あ〜今、暗い方思い出したっしょ?」

 居たたまれなくなって顔を背けると、朱理はわざとふざけた物言いをして私を呼び戻す。

「そっちはど〜でもいいの。他に思い出さねー? 2人で柏原の稽古にも入ったし、その後一緒にゴハンも食べたよ。家に来た時は毎回庭でコオリオニしたし、
 だだっ広い居間でセーラームーンごっこも付き合ったじゃん?」
「えっと……」

「そうだね、懐かしいね」って軽く返せれば良かったのに、私の中にはそんな楽しい記憶は残ってない。たぶんあの事件が衝撃的過ぎたんだと思う。
 誤魔化すのも躊躇われて言葉につまったまま視線を泳がせていると、朱理は短く息をついて私の手を放す。

「は〜あ、やっぱ覚えてないかぁ」
「ごめんなさい……」
「まー、そんなトコだろうとは思ってたよ。あんたってば昔っから「しーちゃん、しーちゃ〜ん」で、他のヤツら眼中なかったし」
「べ……別に、しーちゃんは関係ないでしょ。ただ忘れっぽいだけだもん! 反対に朱理の方が記憶力良すぎるのよ」
「当然じゃん。だってオレは初恋だったし?」
「へっ?」

 サラリとすごい事を言われた気がして、思わず呆けてしまった。
 
「あのさぁ、ちゃん……」

 何かを言いたげに、朱理がもう一度こちらに手を伸ばす。でも後ろにいたしーちゃんがそれを許さずに、私の肩を引き寄せて避けるみたいに距離を作った。
 あと一歩届かずに空ぶった手。朱理は恨めしそうに小さく舌打ちをする。

「で、まだコイツも一緒だし?」

 吐き捨てるようにぼやいて、視線を斜めに下げた後クルッと踵を返した。

「朱理、待ちなよ。戻ってこないの?」

 立ち去ろうとしたのをしーちゃんが引き留める。

「んーナイナイ。あんな堅苦しい天主に今更従いたくないし、オレはオレの考えで自由に動くよ」
「自由にって、今いったいどこで何してるんだよ。母方の実家にも音信不通だっていうし、鏡はどこで手に入れたわけ?」
「どこだったかな〜。1匹浄化した時に回収した気がするんだけど。もうずいぶん前の話で忘れちゃった」

 矢継ぎ早の質問に粗雑に返し、何せ8年だからね、と苦笑う。
 時の流れを過度に意識した発言が多いことに、心の傷がまだ癒えてないんだって悟った。当然だよね。
 だから言いたいことは山ほどあったけどグッと奥に飲みこんで、私はたった1つだけを口にする。

「鏡は確かに受け取りました。お父さんには私からちゃんと報告しておきます。ありがとう。でもね朱理、どんな理由があっても誰かの「好き」っていう想いを
 利用しちゃダメだよ。天力者としてなら尚更、そういうズルイことはやめて」

 奈良ちゃんは本当にあなたが好きだった。
 近づきすぎて傷つけたことを、忘れないで欲しいって思う。
 朱理はぴたりと足を止め首だけで振り向くと、ちょっと不満げに唇を尖らせた。

「恋愛ってくくりに関しては、あんたも同罪だと思うんだけど」
「え? なあに?」
「あ〜何でもナイっ! 分かったよ。オレへの感情に付けこんで揺さぶりをかけるようなマネは、もうしないって!」

 よく聞こえなかったけど最後は口角を上げて約束してくれたから、私はとりあえず素直に安堵した。

「ん〜じゃあさ、オレからも最後にイッコだけいい?」
「え? うん」
 
 私が頷いたのを確認して、朱理はコートのポケットに両手を突っ込んだ格好で体をこちらに傾けた。
 しーちゃんをチラリと見上げて、少しだけ迷った素振り。その後私に向き直り、真剣な眼差しで言葉を紡ぐ。

「天力者が妖力者を浄化し続けること、ちゃんはどう思ってる? 人を喰らわなきゃ生きてけない弱い立場のモノを、オレ達は断然優位に立って一方的に排除して……」

 らしくなく言葉を丁寧に選びながら、それでも途中ちょっと言いよどむ。

「考えて欲しいんだ、宗家のお姫さんであるあんたに。天力者と妖力者のこれからの未来を」
「!?」
 
 朱理の深い瞳にのみこまれ、私はただ静かに言葉を受け止めるしかできなかった。
 弱いとか有利とか、妖力者を浄化するのに特別な思いを巡らせたことなんてない。『排除』以外を想像したこともないのに。
 何をどう考えればいいの?
『未来』という表現が意外だった。朱理が思い描く天と妖の関係には、この先別の形があるんだろうか……。











 気づいたらお月様がずいぶん南の方へ動いてる。もう23時。
 頭も体も冷えてそれが清々しいとさえ感じるのに、色んなことがありすぎて私はまだこの神社から動けないでいる。
 朱理が立ち去ってからしーちゃんはほとんど口を開かなかった。私が意味もなく星を数えている横で、同じようにただ夜空を見上げている。
 ふいにしーちゃんのスマホが鳴った。短い会話を終えて通話を切ると、こちらを向いてフッと表情を緩める。

「奈良ちゃん、無事に意識を取り戻したみたいだよ」
「……ホント?」
「ウチの系列病院に運ばせたから、父さんから電話でさ。とりあえず明日検査はするみたいだけど、初見は問題ないだろうって」
「あぁ、良かった!」
「でもやっぱ、記憶障害くらいは残るかもね」
「あっ……」

 妖力に侵された人はたいてい何か一部分を失ってしまう。身体だったり心だったり、頭脳だったり。
 命があるだけで良かったって考えれば喜ばしい報告なのだけど、正直、残念で寂しかった。

「私のことも、忘れちゃうのかな」

 でも奈良ちゃんにとって私は、朱理とキスをした憎たらしい女の子。悲しい記憶として残るくらいなら、最初からない方が楽かもとも思う。その方がずっと生きやすいよね。
 だけどもう会えない。ゴメンねもありがとうも伝えられない。そう考えると気持ちは複雑で、手放しで飛び跳ねることができないの。

「あのさ、別にが覚えてればイイだけのことじゃない?」

 沈む気持ちを吹き飛ばすようにしーちゃんはサラリと呟いた。

「相手が自分のことを忘れたって、またいつか出会って1から築き上げればいいよ。時間はたっぷりあるんだし」

 そして私の頭に手を伸ばしポンポンと軽く触れる。

「今回はよく頑張ったね、」
「しーちゃん……」

 こんな風に優しく頭を撫でられるのはずいぶん久しぶり。
 蒼くんと付き合ってからは一緒にいる時間も減ったし、お見合いの件があってからは目を合わすことさえ避けていた。
 しーちゃんの手、やっぱ好きだなぁ。大きくてキレイで私の全ての感情を零すことなく、きっちり包んでくれる気がするの。
 今、思いっきり甘えたい。首に飛びついてギュッてして、もっともっと温もりを感じたい。
 でも独り立ちするって宣言したのに、けっきょく助けてもらった。ちっちゃなプライドが邪魔をして、素直に「ありがとう」も言えない。
 そんな私の稚拙なジレンマも全部お見通しだったのかな?
 しーちゃんは「しょうがないなぁ」って眉を下げて笑むと、私の体を温めるように強く優しく抱きしめてくれる。


 
   


 いつものサンダルウッドの香りが鼻孔をくすぐる。
 子供扱いが鬱陶しくて、放って置いて欲しいと思ってた。何でも分かってるような上からな態度がムカついて、早く認めて欲しかった。
 でもやっぱりしーちゃんに触れられるとこんなにも安心するの。涙がこみ上げるのを我慢できない。

「ゴメンね……イキがってたくせに。やっぱり1人でなんてムリだったよぉ」

 力が足りない、それを理解できてない自分にうんざりする。

「当然でしょ? 別に1人でやる必要なんてないんだからさ」

 背中に回した腕に力をこめ、しーちゃんは甘みのある声で囁いた。

「何のために僕がいるの? に頼ってもらえなかったら、僕の存在意義なんて初めからないよ」
 
 
    


 しーちゃんと触れ合ってるとこ全部が熱を帯びていくのを感じた。
 心臓が驚くほど跳ねてうまく伝えられそうにないから、もう少しこのままでいることを選んでしまう。
 私も、同じだよ。
 しーちゃんに守られたり大切に扱われることで、反発しながらも自分の存在価値を見つけてきたの。
 今まで私ばかりが寄りかかってることに引け目を感じてたけど、寄り添ってここまできた……って思ってもいいのかなぁ?


 鼓動を確認するみたいにしーちゃんの胸に顔をうずめる。
 内と外からなる耳心地の良い旋律は、どんな素敵な音楽よりも私の心を震わせた。
 
    


 この感動はなに?



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