◇ 11.天使の卵 〜 朱理 〜
火照る身体を沈めたくて、人気のない中央公園を彷徨うように歩いた。
人工的に創られたキレイなものを眺めながら、澄んだ夜風を身にまとうのが好き。天力を使った後はいつもそうだ。
『桜木』の名前を捨ててから、浄化なんてずいぶんしてなかったと思う。
でもやっぱオレってさすがだな〜。鏡をおとりに使ったとはいえあの一撃は完璧じゃん?
精神の鍛練も武道の稽古もサボりまくってるくせに、その優秀な血統にうんざりする。
全身が熱いよ。頭がクラクラして、心臓がカーッと発汗するみたい。
力を使いすぎたせい? ううん、違う。そんな柔じゃない。分かってるんだよ、たぶんこれは……。
無意識に唇に指を当て、数時間前の神社での出来事を思い返す。
ちゃんとキスをした。唇と唇が触れ合うだけの中学生みたいなキス。
ただそれだけでこんなにもドキドキして、心を掻き乱して。何度も感触を脳裏に蘇らせるなんてマジ笑える。キモいよ、オレ。
どうせならとことん味わってとことん汚して、思い出ごとフッ飛ばしちゃえば良かったのにさぁ。過去の聖域守って踏み込めないあたりが、へたれ感ハンパねぇ。
ちゃんが相変わらずカワイかったってだけで、オレは瞬間的に『小学生のオレ』に戻ってひよったんだ。
しかたねーよ、特別だもん。
桜木家の嫡男として家に出入りしてた時、オレにとってのあの娘は『天子』じゃなくて『天使』だった。
人懐こくて無邪気で表情をクルクル変えて……。
天然記念物だって周囲が騒ぎ立てるのを気にも留めず、立場という垣根をヒョイって飛び越えてよくオレに笑いかけてくれた。
会えるのは年2、3回、家で開かれるイベントごとの時だけ。
だからちゃんが覚えてないのも無理ないんだけどさぁ、オレ達はわりと仲良くしてたんだよ。
『コオリオニは10秒以内でつかまえてね!』 とか。
『タキシード仮面やらせてあげるから、セリフ間違えちゃダメだよ』 とか。
小さなワガママを言われるのが嬉しくて、くすぐったくて。お姫さんの願いは何でも叶えてあげたかった。
でも当時のオレはかなりシャイで女子との会話も遊び方も分からず、気の利いたことなんてなかなか言えない。
結果、飽きられるのも早かった。
会話もとぎれてあの娘が退屈そうに唇を尖らせる頃、いつもアイツが現れるんだよ。
天海家の紫己、あの娘の守護で世話役。
ピンチの時はすぐ駆けつけて、そうじゃなくてもいっつもそばにいる。
……んで、やっぱ今日も来たし?
ずいぶん背伸びてたよな、あいつ。モデルだか何だか知んねーけど、ドルガバのコートなんかサラリと着こなしやがって。
兄弟みたいに仲良かった――ふりをしてた。
紫己との8年ぶりの再会は、ますますコンプレックスを刺激されただけだった。
昔っから厭味なくらい完璧なヤツだった。勉強も仕事もできて何をやらせても上級レベル、加えてあのルックスなんて出来すぎ。
オレにもそれなりに優しいんだよね。会えばさりげなく輪に呼び寄せて、分け隔てなく世話をやいて。
歳が近いってことで周囲に比べられることもしょっちゅうだけど、堅苦しい血族の中であいつの存在が救いだった時期もあった。
3人で遊ぶと時間がたつのも早かったよな。
でも…………。
その場の全てを放り投げて嬉しそうに駆け寄るちゃんを見るたび、切なくて悔しくてやりきれない衝動にかられる。
天海家と桜木家はほぼ同格。女性天子の守護役はオレでも良かったはずなんだ。
それが1年早く生まれたとか、管轄地域が近かったってだけで、そのポジションは紫己のものになった。
当然の顔して隣に立つのがオレだったら良かったのに。その権利さえ持ってればもっとあの娘と仲良くなれたはずなのになぁ。
会うたびにもんもんとして心の中のイジケ虫がモゾモゾ動き出した頃、父親の例の事件が起きる。
そしてオレが家の門をくぐることはなくなった。
あれから8年――。
2人はてっきり恋人同士にでもなってると思ってたのに、相変わらず生ぬるい関係を維持してるっぽい。
それよか別の男が急接近して、ちゃんの『初めて』に触れたらしいって聞いた。
紫己のヤツ何やってんだか。ぽっと出の男なんかに彼女を取られやがって。ざまーみろっ! だっつーの。
「何か、急に寒くなってきた」
凍てつくような風に前屈みになり、思わずそう独りごちる。
こんなに色んなことを思い出すなんて今までなかったのに。昔よく遊んだ神社で紫己が簡単に「戻ってこないの?」なんて言うから、思いがけずメランコリーになった。
戻れるわけないじゃん。2人が一歩一歩前進する中、逃げ出して引きこもって、時間を止め続けてたオレがさぁ。
それでも日に日に強まる光のオーラを持て余し、どうしたらいいか悩みもした。
父親の意思を継ぐ? 自由に生きる? それとも誰かのために生きてみようか。
そして今日、その答えが出た気がするんだよ。――もう迷わない。
ポケットからiPhonを抜いて画面に視線をやると、もう0時を過ぎてることが分かった。
うわっ、早く帰んなきゃ。今日はきっと心配してる。
噴水の回りに敷かれたモザイクタイルの上をステップして、オレは前方のタワーマンションを見上げた。
オレンジ色の灯りが淡くもれた最上階の角部屋、そこがオレの今戻るべきとこだ。
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