「あ〜、ちゃん見っけ」

 気をとりなおして、手もとの活字に視線を戻した時だ
った。
 聞き覚えのある、甘ったるく弾む声が頭上からふって
きて、私は恐る恐る顔を上げる。

(朱理!?)

 片方の手をパンツのポケットに突っ込んで、もう一方
を「よおっ」なんて振り上げてから。彼は屈託なく笑っ
て、提げていたショルダーバッグを向かい側の席に置い
た。

「ランチしにきちゃった。空いてんね〜今日は」

 待ち合わせでも友人でもないのに、当然のカオで同じ
テーブルにつく朱理に、私は信じられない気持ちでいっ
ぱいになる。
 奈良ちゃんの想いにつけこんでHだけ……なんて身勝
手なことしておいて。
 私が何にも知らないとでも思ってるのかな。じゃない
なら、普通気まずくない?
 何なんだろう、この図太い神経って……。
 私、たぶんすごくイヤな顔してたと思うの。
 それをどう勘違いしたのか不明だけど、朱理はキョロ
キョロと周りを見渡して、身をのり出しながら小声で囁
く。


「あのさ、いつも一緒にいるイケメン君たちって、怖い
人だったりする?」

「は?」

「ほら、君の2人のナイト様だよ。『REALの紫己』
と、背の高い……なんて言うの、無愛想な感じの人?
ちゃんと話してんの見られて、近づくな! とかっ
て、いきなり殴られたらイタイじゃん」

「……」


 蒼くんとしーちゃんをガラの悪い人達みたいに、言わ
ないで欲しい。だったら絡んでこないでよぉ。そこ、座
らなきゃいいじゃない。
 喉まで出かけて、グッと飲み込む。
 無言になった私を朱理はちょっと不思議そうに見つめ
てから、「あ〜」と1人納得したように大きく頷いた。

「何か変化あったんだ。君達の三角関係」

「!?」

 ふいに投げ込まれた爆弾。真っ向から受けとめてしま
った私は、手足をバタバタさせてムキになって否定する。


「べ……別に! 私たち三角関係とかそんなんじゃ……」

「あ、そーなの? 2人の男をうま〜くキープしてるな
あって感心してたんだけど。もー、どっちかに決めちゃ
ったんだ? で、気まずくて1人ランチとか」

「違うわよ。勝手なこと言わないで! そんなんじゃな
いんだから。今はテスト期間中でみんな時間がバラバラ
だから、たまたま1人なだけで……」

「へー。なんだ、残念。クリスマスってゆー大イベント
もあったことだし。いつまでもみんなで仲良しこよしっ
てわけにもいかなくなった〜とかを、期待してたんだけ
どな」

「!!」


 なんなの、この人!? 繊細な部分をズケズケと……。
 溢れでる嫌悪感を抑えきれなくなって、広げていたノー
トや本を無言でバッグに戻した。
 世間話なんかする気になれない。ラウンジにでも移動
しよう。
 そう決めて目も合わせずに立ち去ろうとするけど、朱
理は私の腕をグイッと掴んでそれを制し、上目づかいに
低い声を投げる。


「あれ〜? そーいえばちゃんって、盲腸じゃなか
ったんだっけ?」

「!」

「たしか一昨日奈良ちゃんに会った時、1週間くらい欠
勤してるって聞いてたんだけどなあ」

「……っ……」
   

『盲腸でなおかつ腸閉塞を患って入院』っていう設定は、
大学の単位を落とさないために描いたしーちゃんのシナ
リオで。私は新年初日からずっと、派遣の仕事をお休み
させてもらってる。
 病状と欠勤数の綿密な計算。念のためにって、なんち
ゃって診断書も用意して完璧だったのに。
 ……忘れてた。
 朱理が『私の本業=学生』ってことを知ってるって、
けっきょく誰にも話してなかったんだ。


「ちゃんと会いました〜って、今から奈良ちゃんに
写メでも送ろうかな」

 赤い iPhone を鞄からとりだして、わざとカメラを向
けてくる朱理。
 …………。
 ケンカ売ってるんだね、これは。って言うより、れっ
きとした脅迫だよ。
 人懐こい笑顔の裏側に、何があるのか計り知れなくて。
 私は精いっぱい睨みつけながらも、しぶしぶもう一度
イスにお尻をついた。
 言っとくけど、脅しに屈したわけじゃないわよ。
 奈良ちゃんの友達として、やっぱりあなたのやること
に納得できない。一言いってやんなきゃ気がすまないの。


「ね、今日メチャ寒くね? ココ来るまでに手かじかん
じゃったよー。ほらっ」

 とか何とか言いながら、手の平を無邪気に広げてみせ
てくるのを軽くスルーして。
 冷静に、諭すように……って自分を落ち着かせながら、
彼に向き合う。

「ねえ、朱理。奈良ちゃんのこと……ホントのところ、
どう思ってるの?」

 好きなんだけど歳が離れてるし――とか、OLと学生
じゃ不安だから――とか。そういう憂いを秘めた返しを
期待してたのに。
 朱理は最初きょとんとした表情になって、直ぐさまか
らかうみたいな視線を向ける。


「なに? ちゃんってばオレの事が気になるの?」

「! 違うわよ! どうしてそうなるのよ! 私はただ、
あなたが何を考えてるのか知りたいだけで……」

「だからぁ。それが気になるってコトじゃない? 興味
あるんでしょ? オレの思考と判断に」

「…………べつに……」

「あははっ。真っ赤になっちゃって可愛いな〜。イイよー。
奈良ちゃんとどーして付き合わないのか、オレのホント
の気持ち教えてあげても」

「え?」

「あー、そうだ。じゃあ今からデートしてよ♥ 2人き
りになれたら、そこでゆっくり語ってあげる」

「!?」


 含み笑いさえ浮かべた朱理のバカげた提案に、頭の中
がカッと熱く弾けた感じがした。
 デートって言った? 奈良ちゃんの友人である私に?
 発言の真意が理解できなくて放心していると、彼はテー
ブル越しにグイッと顔を近づけて、私を正面からマジマ
ジと見つめる。


「ココで初めて会った時に、ちゃんと言ったよね。好み
だって」

「……からかわないで。私も言ったよ、カレシいるって」

「だから〜? 結婚してるわけじゃないし。関係なくね?」

「……」


 たしかに、そうかもしれないけど。法律的には自由か
もしれないんだけど。
 ねえ、そういう恋愛って、常識的に考えてどうなの?
 理性とモラルは何のためにあるの?
 ……ああ、そうなのね。そういう考えの人なんだね。
うん、よーく分かった。
 きっと私には一生理解できない。


「ちゃんってまつ毛長いよね〜。肌もキレイだし」

 大ぶりのリングをつけた朱理の手が、ゆっくり私の頬
に伸びる。

「唇も、何もつけないでその紅さ? 何かエロいよね。
触りたくなるもん」

 華奢な指先で弾力を楽しむみたいに下唇をぷにぷにと
押してから、スルッと横になぞって顎先をもちあげた。
 そしてニカッと八重歯を見せる。

「ちゅーくらいなら許してくれる? でもって、そーゆー
シーンを奈良ちゃんに見せつけたいな〜。だって恋愛っ
て対抗がいた方が盛り上がるじゃん。2人きりで幸せに
なるだけのドラマなんて、誰も見たがらないしね」


 そんな勝手な持論を述べながら、今にもキスしてきそ
うな距離までつめ寄ってくる朱理。
 いくら弱みを握られてても、奈良ちゃんの好きな人で
も。可愛い顔した男の子でも。ハンカチ王子でも。
 もう、関係ない!! って思った。


 ガブッ!

 馴れ馴れしく口もとを行き来していた指に、私は思い
きり噛みついてやる。


「いてっ!」

「最低! どうして平然とそういうことが言えるの?
そんな自己満足な恋愛感情なら、ない方がマシだよ!」

 きっと女の子はみんな、好きな人と2人だけの時間を
紡ぎたいだけなの。ただそれだけを望んで、自分の全て
を捧げるのに。

「どんだけオレ様なの? だったらあなたが盛り上げ役
に回ればいいじゃない。奈良ちゃんがエンディングで幸
せになるドラマだったら、いくらでも観てあげる!」

「…………」


 人目も気にせずに怒りをぶちまけた私に、朱理はしば
らく目を丸くしていた。
 そして少しして、私の歯型がくっきりついた親指を自
分の顔の前にかかげたかと思うと、何がツボだったのか
お腹を抱えて笑い転げる。


「あははははっ〜!! オッケー、オッケー! 最終回
がちゃん好みで迎えられるように、オレも頑張るね!」

「なっ……」
   

 この人、絶対にバカにしてるよね!?
 生まれて初めて拳がわなわなと震える。

「あなたみたいな人、大っきらい! 2度と私の前に現
れないで!」

 怒りに任せて、力強く右手を振り上げてしまった。
 それでも朱理は怯まない。悔しいぐらいに軽々と私の
手首を押さえ込む。


「ん〜、でもそーゆーワケにもいかないかな。だって
ちゃんすっごく美味しそうなんだもん。このまま逃がす
のは惜しい。味見くらいさせてよ」

「な……によ、ソレ。変な言い方しないで! 私を食べ
物みたいに」

「だって事実、超ゴチソウじゃん? ただし力のあるも
のだけが楽しめる、珍味って感じだけど」


 軽蔑のまなざしを向ける私をものともせず、朱理は口
角をイヤラシく上げながら、サラリと続ける。


「宗家――天力者のお姫さん、でしょ? あんた」

「!?」


 当然のように言い放った彼に、私は静かに驚愕した。
 状況がのみこめない。
 『天力者』なんて言葉、普通の子は簡単に使ったりし
ないよね?


「……なに……言って……」

「いいよ〜。今さら隠すこともナイじゃん。オレ、一目
で気づいたよ。だってちゃん、甘い匂いをプンプン
させてるんだもん。妖力者ならきっと見逃さない。喰ら
いたくてウズウズするはずだ」

「ちょ……ちょっと待って。匂いって……」

「あれ、気づいてないの? うっわ〜! 天然記念物な
『女天子』ちゃんが、何ノンキなこと言っちゃってんの。
器も精神も五つ星。ある人の言葉を借りるなら、あんた
は1人で『フルコース』じゃん」


 朱理はテーブルに頬杖をつきながら、タレ目がちな瞳
をさらに下げて微笑んだ。

(……この人……)

 ゾクッと背中に悪寒が走る。

(何でこんなに、いろいろ知って……)


 気づかなかった。
 私はこの男の子のことを『奈良ちゃんの好きな人』と
か、『女慣れしてる軽い人』っていう目でしか見てなか
ったから。
 冷静になって目の前の人間を探ってみれば、オブラー
トに包まれたその内側に、どこか異様な『気』をまとっ
ているのが分かる。
 オカシイ……ってことは感じる。でもそれが何なのか
までは見えないの。
 たぶん、だけど。
 私に見えないってことは、すごく強い力なんだよね?
 取りまくオーラを、自分でコントロールして断てるほ
どに。


「あなた……いったい何者? 私をどうしたいの?」

 朱理=上級妖力者。そんな方程式が頭をよぎる。
 ズズッと音を立てて椅子ごと一歩後ずさり、私は自然
と構えの態勢をとった。
 とっさに体内に宿る天力を全身に巡らせて、形ばかり
の結界をはる。

「うわー。やっぱキレイなんだな、ちゃんの力」

 見える人にしか見えない光を、それもごく僅かに滲ま
せただけの力を。朱理は確実に見抜いて、眩しそうに目
を細めた。
 まさか……祟峻すいしゅん本人? こんな小柄な男の子が?
 ううん、見かけは関係ない。
 妖力者は別の人の身体を器にして、霊魂を定着させて
るだけの存在だもの。
 極端なハナシ、昨日まではオジさんで今日は小学生っ
てことだってありえるはず。

(落ち着いて……まずは敵の本質を探らなきゃ……)

 歪んだ魂を浄化するための基本。
 内に住み着いてるモノを見抜いて、見極めて。やれる
かどうかを素早く判断しなきゃいけない。
 家の長女として、小さい頃から体に叩き込まれてき
た。息をするのと同じくらいに、何度も繰り返してきた
はずなのに……。
 ダメ!
 精神をうまく集中できない。
 朱理の背後に黒ずんだ闇色のオーラが漏れ出てるのを
感じるのに、その力の容量が計れないの。


「ヤダな〜、ちゃん。変な警戒しないでよ。ココ、
学食だよ? こんな人目につくとこで、ヤバイことする
わけないじゃん」

「っ……」


 向き合ったまま変わらずに余裕のある笑顔を浮かべる
この人が、急に恐怖の対象になった。
 どうしよう。声が震える……。


「……奈良ちゃんに……これ以上、近づかないで」

「ふっ」

 怯える心を隠しきれない私を、朱理は軽く嘲笑った。

「さあね〜。それは、あんた次第かも」


 含みのある言い方をした後、急に遊びに飽きた子供み
たいに小さな欠伸をする。


「んじゃあ。オレそろそろ帰るね。何かお腹もいっぱい
になっちゃったし」

「…………」

「次は2人きりでね。ばい、ば〜い」


 ひらひらと片手を振りながら立ち去る後ろ姿を、私は
呆然と見送ることしかできない。
 このまま行かせちゃダメ。分かってる!
 でも足が動かないの。

(……誰か……呼ばなきゃ……)


 しーちゃん!!


 咄嗟に浮かんだのは、いつもの意地悪く笑んだカオだ
った。
 早く知らせなきゃ!
 テスト、ちょうど終わったとこかもしれない。
 今なら大学のどこかにいるよね?
 きっと朱理に追いつく。今なら捕まえられる。
 しーちゃんならそのまま結界をはって、周囲を巻き込
まずに一気に浄化することだって――!

 慌ててカバンをかき回して携帯をつかみ取る。
 画面を人さし指で乱暴にスライドして、はね返されて。
リダイヤルにその名前がないことに気づいた私は、やっ
と現実に帰らされた。
 そうだ……。
 もうしーちゃんを今までみたいに呼んじゃいけないの。
 守護なんていらない、自立するんだって啖呵をきった
ばかり。
 ここでカッコつけなくてどうするの?

(私が甘えていいのは、蒼くんだけ……)


 かと言って、彼を呼び寄せることは躊躇われた。
 蒼くんは天力者としてまだ日が浅い。
 今の蒼くんじゃ、あのレベルを相手にするのは苦しい
ことくらい分かる。
 助けを求めれば絶対に、1人で正面から闘ってくれる
でしょ?
 私のために危険な目にあわせたくない!


 カタッ。
 私は力なく腕を下ろし、テーブルに携帯をふせた。
 誰にも相談しない。朱理のことは自分でどうにかして
みせる。
 これは自立の第一歩。
 きっと神様がくれた最大のチャンスなんだ。


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