◇ 8―A.それぞれの想い 〜 蒼 〜
『蒼くん、ごめんなさい。今日の夜は、ちょっと用事ができちゃったの』
上り電車を待つ駅のホームで、予想外にから着信が入った。
仕事先の昼休憩はとっくに終わってるだろう2時過ぎ。
電話口のはやたら小声で、そんでもって早口で。慌ただしい様子から仕事を抜けて俺に電話してきてるんだろうと察した。
「何かあったか? なら迎えだけでも――」
腑に落ちなくて探るようにそう返すと、タイミング悪く通過列車がバラバラと騒音をたてて通り過ぎる。
『――ううん、大丈夫――****と、待ち合わせしてるから――』
「え? 悪い、聞こえなかった。何?」
『――あのね。今日は……朱理と――奈良ちゃんの好きな人と会うことになったの。だからお迎えは大丈夫だから』
「!?」
風と音を身体で遮断しながらスマホを守るように壁側に下がって、今度はハッキリと聞きとれた。
奈良橋まつ子の好きなヤツと、会う?
少し前にの自宅付近で挨拶を交わした、女みたいな顔をした細っこい赤髪の男を思い出す。
は合コンで会っただけと言ってたけど、それにしては妙に馴れ馴れしいヤツだった。
あいつと仕事の後に会うってことか? まさか2人で? 何の為に?
責めるような疑問詞が口をついて出そうになって、慌ててグッと喉の奥に押し込む。
束縛なんて、みっともねー真似はしたくない。
けど――。
頭の隅に1時間ほど前に天海から届いたラインの内容がチラついた。
【が観たがってたブランドのショーチケットが手に入ったんだけど、今夜連れてける?
今撮影中だから、もし行くんだったらスタジオ近くまで取りにきてくれない?】
天海からの久しぶりの連絡に安堵し、ちょうどソレを受け取るために青山に向かうとこだった。
そのチケットにどんな価値があるのかは分かんねーけど、話せばを引き留められるかもしれない。
言ってみるか?
『……蒼くん?』
黙り込んでいた俺の耳に、くぐもったの声が届く。
『あ、もしかして今忙しかった? 電車のるとこ? ゴメンね、LINEより電話の方がいいと思って』
「いや、それは平気。じゃなくて、今日は――」
『え?』
「…………いや、何でもねー。分かった、じゃあまた明日な。一応帰宅したら携帯鳴らせよ。心配するから」
『うん、ありがとう……夜電話するね。――あっ、もう仕事に戻らなきゃ! じゃあ蒼くんバイバイっ』
「ああ、また」
プッ。
結局、カッコ悪りいとこを見せるのを躊躇って、切り札をチラつかせることは出来なかった。
別に俺と付き合ってるからって、他の奴と飯食いにいくのをどうこう言うつもりはねーんだけど。
天海以外の男の名があいつの口から出るのは初めてで、何か妙にモヤモヤした。
まずいな、これ。の事を想うたびどんどん女々しい奴になってる気がする。
ハァッ!
乱暴にため息をつき、俺は次の東京行に飛び乗った。とりあえず天海に自分の不甲斐なさを詫びにいく。
ファッションショーなんて柄じゃないとこ、きっと今までだったらあいつ自身が連れて行ったはずだ。
それをあえて俺に声をかけてくれた。ここはさすがにスルーできない。
俺との関係を天海も修復したいと思ってくれてるんなら、顔を合わせるチャンスを無駄にはしたくなかった。
けど30分後、指定されたカフェに足を踏み入れて俺はただただ目を見開く。
外国のお伽話にでも出てくるような色柄のついた壁と床、そしてガラス玉みたいな間接照明は、明らかに普通の飲食店の内装とは違っていた。
格子窓には赤いチェックの小さなカテーンがぴらぴらして、丸いテーブルにかけられた布は……サクランボ?
おまけに店員は胸元のあいたシャツに短いスカートを履いて、惜しみなく前屈みに会釈する。
「では、お決まりになりましたらお呼び下さい。ただいまお冷をお持ち致します」
俺は両手を膝の上に揃えた『気を付け!』の姿勢のまま、ぎこちなく会釈だけを返した。
妙に落ち着かない。
コーヒーを頼むのさえ躊躇って嫌な汗をかきながら周りを見渡すと、男1人で座ってる奴なんてやっぱり俺くらいしかいないし。
天海のやつどういう嫌がらせだよ?
数分間、俺は考えるふりをしながらメニューをペラペラと捲り続けた。
「蒼、お待たせ」
やがて時間ピッタリにあいつが現れて、俺はやっと視線を上げる事ができる。
――けど。
横に立ったその姿をマジマジと見て、今度は思わず息を飲んでしまう。
衣装らしい派手な服装に身を包んだ天海はより一層華やかで、どっからどう見てもファッション雑誌のカリスマモデルだった。
それに加え……化粧してる?
撮影の合間を抜けて来たんだから当然なのかもしれねーけど、業界の常識なんて知らない俺には男のソレなんて異常でしかない。
でも不思議と天海に対し嫌悪感はなかった。
眼差しは色っぽく、背筋がピンと伸びた余裕のある立ち振る舞いはカッコイイというより綺麗で。そこに存在するだけで全ての人の気を一気に引き寄せてしまう力があった。
天力とはまた違う色で放たれるその深く眩いオーラに、俺は迂闊にも見惚れてしまう。
「ゴメンね、こっちの都合で呼び出しちゃってさ。もうオーダー済んでる?」
天海は涼しげなカオで俺の横の席につき、真っ直ぐ目を見てから笑った。
「イヤ、まだ何も」
「じゃあ小腹すいてない? ここのパンケーキ評判イイみたいだから頼んどく? 甘いもの好きでしょ」
「!? それはさすがに勘弁してくれ……」
男2人にパンケーキっていくらなんでも不毛すぎだ。これ以上目立ってどーする。
「俺はコーヒーで」
「そう? ――あ、すみません。じゃあいつもの2つ」
カウンターに立つ店員に慣れた様子で片手を振る。
それを見てこの店の常連なんだと分かり、改めて感心せずにはいられなかった。
普通の奴だったら浮きまくるこんな『赤毛のアン』みてーなカフェで、絵になる男なんてそう居てたまるか。
「ここを行きつけに出来るなんて、すごいなお前」
「あは、まあスタジオから近いしね。抵抗なく使わせてもらってるよ」
「先に言ってくれよ。スタバ系? くらいの気持ちで入って、一瞬引き返そうと思った」
「何言ってんの。蒼だってそろそろ慣れたでしょ? ってばこういう乙女ちっくな店ばっか選ぶじゃん」
「え……」
「高校の時から際どい制服のバイトばっかしたがるからさ、そのたびにリスクを教えて説き伏せるのに苦労したんだよね」
「……」
天海は柔らかい表情でとの思い出を口にした。
店内を改めてグルリと見渡してみて、ああ、たしかに。が好きそうだって気づく。
でもあいつと一緒にいて俺は一度も、こういう店に腕を引かれた事はない。
何でだ……?
多少不安定な感情で答えをめぐらせていると、程なくして珈琲が運ばれてきた。
顔なじみのウエイトレスなのか天海はその店員と二言三言会話を交わし、なぜかその後2人同時にこちらに振り返る。
「新しいモデルさんですか?」
「!?」
俺のことを言ってるのか?
突然のフリに表情を作ることも忘れていると、すぐに否定すると思っていた天海がニヤリと薄く笑む。
「どう思う? いけそうかなぁ、彼」
「うん、誠実そうですごくイイと思う! シキ君とはまたぜんぜん違うから『REAL』の2枚看板になれそうだよね」
「ふーん、僕とは違うんだ。どの辺が?」
「え〜、だってシキ君は羽みたいにふわふわしてる感じじゃない? 柔らかいのに掴み辛いって言うか。彼は〜そうだな……地に足をしっかりつけて、両手を広げて待っててくれそうな感じ?」
「で、どっちがイイわけ? それ」
「う〜ん。付き合うならシキ君。結婚するならコッチの彼!!」
「あははっ。何か地味に厳しい。って言うかもう『REAL』の話じゃないしね」
「…………」
何ちゅうやり取りだよ。ついてけねー……。
俺は天海達の会話にはあえて加わらず、ゆっくりと珈琲を味わいながら店員が立ち去るのを待った。
テーブルに2人だけになって、天海は頬杖をつきながら目線をゆっくりとこちらに戻す。
「蒼ってば、相変わらずカッコいいよね」
ぶっ!
口に含んでいた珈琲を思わず吹き出しそうになった。
はあ!? 何言ってんだ、お前が! あからさまな嫌味にしか聞こえねーぞ!?
食ってかかりそうになるのを抑えて眉を顰めていると、次に続いたのはため息混じりの言葉。
「硬派で真っ直ぐで、チャラついたとこなんて全然なくて。なのに優しくて強い。けっきょく女の子ってさ、蒼みたいな男が好きなんだよね」
伏し目がちに呟いた姿が少し寂しそうに見えたのは、気のせいか?
……何だよ、急に。
意図が分からず困惑していると、天海はマイペースに「あっ」と小さく声を上げいつものひょうひょうとした顔つきに戻る。
「そう言えば今朝、に会ったよ。JR止まっててね、朝稽古でフラフラだったから新宿まで送ってきた」
「え?」
「古武道なんかってあんなに嫌がってたくせに、何で急にまた目覚めたんだか。蒼は何か聞いてない?」
「いや、俺は特に」
「練習量が極端なんだよ。ムリしても拗らせるだけだって、蒼からも言ってやってよ。まったく僕の言葉なんて聞きやしないんだから」
「ああ……」
生返事を返し、今度は俺が視線を下げる。
だって稽古を再開してたなんて、から聞いてない。
何で……?
♪ ♪〜〜♪
一瞬の沈黙を壊すかのように、不意にオルゴール音が店内に流れた。
カウンターの頭上にあるからくり時計が3時ちょうどを示したかららしい。
「ヤバい、もう行かなきゃ。これ19時に恵比寿だから」
天海は思い出したようにポケットからチケットを2枚を取り出すと、俺の前へスッと滑らせた。
「ドレスコードないから、気軽に参加してきてよ」
「あ! 悪い、実はそれが――」
本来の目的に触れ、俺は中腰になった天海を慌てて引き留めると、から突然電話が入り今夜は迎えを断られたことをザッと説明した。
時間を多少気にしながらも、天海は穏やかなカオで聞いてくれる。
「そうなんだ。まー、突然だったししょうがないよね。LINEで知らせてくれても良かったのに」
「いや、でもせっかく天海が声かけてくれたから、直に顔合わせてって思って」
「ふ〜ん、そっか。こういうとこなのかね、さっき言ってたのって」
「え?」
「ううん、何でもナイ。でも朝は、特に用事があるような口ぶりじゃなかったよ。このチケットで誘えば何より優先すると思うけど?」
「それがもう、他のヤツと約束したらしくて」
奈良橋まつ子の男と会うらしいことを話すと、天海は急に眼の色を変えた。
「はあ? まったくのやつ……。蒼も蒼だよ。それほっといてイイわけ?」
「良いも悪いも、奈良橋の好きな男だって言うし」
「何かね、そいつに気があるらしいよ。だから彼女とも付き合わないんだって」
「はっ?」
予想もしてなかった言葉に動揺を隠しきれない。
何でそんなことになってんだよ? たしかその男とは合コンで知り合って、それでこの前たまたま家の近くで……。
記憶を遡って、が『シュリ』と呼んでいたとこまで思い出した時、びっくりするほど脳内に鮮明に映し出されたあの男の顔に違和感を覚えた。
「そう言えばあの顔……構内でうろついてんの見かけたことある」
独り言のような俺の呟きに、天海は軽く息をつく。
「何、それ。だとしたらがあの職場に年を誤魔化して潜入してるって、バレたかもしれないってことじゃん。それネタに何か脅されてたりして。
っていうか蒼、何でそいつの顔知ってるわけ?」
「実は先月末ごろ、を送ってった帰りに会った。ほらあの家の横にある神社の裏口で。偶然って言ってたけど、冷静に考えるとを待ってたんだな。アレ」
「あんな人気のない場所で偶然はなかなかないでしょ。ヤバイよ、ストーカーの類だったらさ」
顔をしかめながら面倒くさそうに吐き捨てた天海だったが、数秒後、ハッと何かに気づいて鋭い目をした。
「1月末って、もしかして最終の月曜?」
「え? ああ、たしかが久しぶりにトシーズビバレッジに戻った日だから、月曜だったと思う」
俺がそう答えると、天海の表情はより一層憂いを帯びたものに変わる。
「がすごいオーラ発散させた時だ。武術の稽古を復活させたのも、その日からだった」
「天海? どういう……」
「ったくのやつ、一体何と交えたわけ? 僕達には何にも言わないで」
何が起こっているのか理解しきれてはいなかった。
でも高ぶった感情を抑えるかのように声のトーンを下げた天海を見て、切羽詰まった状況なんだろうということは飲みこめる。
「蒼、僕達も会いに行こうか。もしかしたら大物妖力者が引っかかるかもしれない」
「!?」
それは奈良の男が妖力者の幹部、もしくは『祟峻』本人だと言うことか?
俺達は席を立った。
仕事の残っている天海はいったんスタジオに戻り、俺はいつもみたいにを迎えにいく。
そしてがヤツと会うという場所に、連絡をとり合って合流しようってことになった。
天海の勘が正しければこの事件、今日でカタがつく。
俺はギュッと拳を握った。
浄化は久しぶりだけど、鍛錬は怠ってはいない。以前よりずっとうまく動けるはずだ。
やっとこの力が役に立つ――。
自分の能力が本家の為ではなく、本人の為に使えることが嬉しかった。
絶対に俺が守る。
にはかすり傷1つ負わせたくない。
店の外に出て天海と別れようとしたその時、ジーパンのポケットでスマホが小さく振動した。
「あ、電話!」
からだと思い、画面も見ずに反射的にフリックする。
天海は足を止めてこちらに振り返り、俺の反応を静かに待っていた。
「もしもし! 今どこだ!?」
『……蒼兄ちゃん……あたし…………』
「杏(あん)?」
着信は予想外にも妹からだった。
このタイミングで何だよ!? って苛立ちつつも、ライン以外はほとんどやり取りのない妹からの電話に少し面食らう。
「杏、悪い。今ちょっと立て込んでるから、後日かけ直す」
用件も聞かずに電話を切ろうとしたけど、耳に届いたくぐもった声に引き留められる。
『……あたし、いま横浜中央病院だよぉ……』
「え? 」
『聖兄(ひじりにい)が……学校帰りに事故にあったの』
「……なっ……」
『ママもパパも連絡がつかないんだよー。だから……だから……』
「杏、落ち着け。聖の容体は」
『……蒼兄ちゃん、早くきてーー!!』
「!?」
杏は俺と話して安心したのか振り絞るような声でそれだけを叫ぶと、ただ電話口で泣きじゃくった。
ダメだ。だいぶ興奮してる。これ以上何かを聞き出すことはできそうにない。
「分かったから……お前は何も心配せずに待ってろ」
そう口にし、俺はスマホを切った。
どうしよう。今すぐのとこに行かなきゃいけないのに。
でも弟の聖に万が一の事があったら……。それに高校1年の杏だけに任せておくわけにもいかない。
突然のことに困惑し、どうすればいいか判断に苦しんだ。
時間がない。なのに答えが出ない。それで右にも左にも走り出せない。
そんな情けない姿を見かねてか、控え目に傍観していた天海が眉を上げて俺に詰め寄る。
「何、迷ってるの? 早く行きなよ。何の為の『契約』なわけ?」
「え?」
「蒼が天力者になったのは、もともと家族を支える為でしょ? 今そばにいてあげなくてどうするんだよ」
「天海…………」
そこまで言ってもらってもまだ、迷いは拭えなかった。
下唇を噛んで視線を斜めにそらすと、そんな猶予はないとでも言うように左肩をトンッと拳で小突かれる。
「今回のは別に、が助けを呼んでるってわけじゃない。ただ力のある天力者が必要なだけだ。僕で十分だよ」
の名をあげられて反射的に視線を戻すと、天海は悪戯っぽく口角を上げた。
を守ることに関しては間違いない強さと、ブレのない自信を持つ男。
心底嫉妬しつつ、同時に絶対的信頼のおける相手。
ああ、そうだ。コイツがいる――。
「悪い。行ってくる」
俺は力強く頷いて、背中を向けた。
けど1点、天海に伝え忘れたことを思い出し首だけで振り返る。
「赤髪の小柄な男を、は『シュリ』って呼んでた!」
「しゅり……?」
天海が珍しく目を見開いたような気がしたけど、俺の心はすでに病院へと向かっていた。
聖は無事だろうか。杏はもう泣き止んだろうか。
、ごめん。今日はやっぱ迎えに行けない。
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