◆第三章  1.闇の見えない女の子



 蒼くんのことだけで、頭がいっぱい。

 キスしたこととか思い出して。

 クリスマスイヴを一緒に過ごせることとか

考えて。

 ふわふわ きゅ〜って。

 世界が煌くはずだったのに……。



 何か今、余韻にひたる暇なんてナイんです

けど!

 夢だった? とまで思えて、悲しくて。

 何で私が? って、イライラする。



 こんなとこで、いったい何をやってるんだ

ろう…………。


   



 副都心のビル街に位置する、大手飲料メー

カー『トシーズビバレッジ』の本社。

 派遣社員という形で潜入した私の役目は、

入社3年目のOL『奈良橋ならはしまつ子さん』の周

辺を探ることだった。



 彼女は数日前、半妖人状態になっていると

ころを発見されたらしい。

 そこにはどうやら鏡を手にした妖力者がか

かわっているみたいで、ソレを浄化して『祟

峻の鏡』を回収するとこまでを、お父さん

(……っていうか八純?)は期待してるらし

いんだけど……。



 正直いって現在いま、それどころじゃないの。





「――という感じで、データ入力お願いね。

レイアウトは任せますので」


 営業二課に事務職で入って、30分。

 主任と呼ばれた30代半ばの女の人にドチ

ャッと書類の山を渡されて、私はすでに涙目

だった。



「あとこっちはプレゼン用の資料だから。店

舗ごとの売上をグラフにして、去年のデータ

と比較して、営業が報告しやすい様にまとめ

てちょうだい」



 プレゼン?

 何語ですか、それ……。


 それ取って! くらいの感覚でポンポン仕

事を言いつけられて、一瞬放心状態になる。



「えっと……グラフって、どうやって……」


「エクセル入ってるから。そこのパソコン使

って」


「エクセル?? すいません、使ったことな

いんですけど……」


「はぁ!? 大卒でしょ? 何で?」



 大卒? あぁ、そういう設定になってるの

ね。いや、実際は大学1年だもん。

 パソコンの講習、今年とらなかったし……。

 あはっと誤魔化すように笑った私に、主任

はあからさまに呆れてため息をついた。


「……。人事部ジンジって、本当ツカエナイわ」




 クリスマスまであと2週間。

 それまでにこんな仕事片付けなきゃなんな

いのに、かんじんの奈良橋さんには未だ会う

こともできてなかった。

 早く見つけて、サラッと話でも聞いて。

 別に何ともなかった――でイイから、お父

さんに報告あげちゃって、さっさとココを立

ち去ろうと思ってる。

 だから知らない人に、厭味言われてる場合

じゃないのに……。



「……。お手洗いに行ってきます」


 やるせない気持ちでいっぱいになって、私

は乱暴に席をたった。

 今やるべきことは、エクセルの勉強とかじ

ゃない。それでなくたってお見合いのことと

か、悩みが尽きないんだから。

 こみあげる感情を押さえこんで、ギュッと

唇をかみしめる。




 そんな時だった。

 背後で崩れ落ちるような物音が響いたんだ。





 振り返ると女の子が1人、入り口近くのデ

スクにもたれ掛かるようにうつ伏せていた。



「おい、どーした? 貧血か!?」


 横で仕事をしていた男の社員さんが、オロ

オロしながらその人の肩を抱いて仰向ける。



 見開いたままの、虚ろな目。

 ヤバく遠い意識。

 まるで異世界にトリップしてるみたいな彼

女の青白い顔が見えて、背中にゾッと悪寒が

走る。



 貧血とかじゃない。

 コレって…………。


(精神を、喰われかけてるんじゃない?)



 私の経験――いや、大したものもナイんだ

けど――からするに、これは『妖人』の症状。

 妖力者に狙われた人間は心の闇につけこま

れて、理性と精神を欠いて、やがて廃人とな

ってしまうの。



 でも何でこんな場所で、いきなり……。

 妖力者の気配なんて、ちっとも感じられな

かったのに……。



「あの、ちょっとどいて下さい」

   


 人垣を押しのけて近づいて、女の子の頬に

両手で挟み込むように触れた。

 内を喰らいつくそうとする黒い力を、私の

手の平は正確に感じとれるんだ。



 侵食レベル、2。

 まだ深部を犯されてはない。

 ちょっと妖力に当てられて、持ってかれた

程度。



(これなら大丈夫)



 ほっと胸をなでおろし、私は躊躇いなく彼

女をギュッと抱きしめた。

 一見不適応にしかとれない行動に誰かが驚

いて声をあげたんだけど、そんなの気にして

る場合でもない。



 とりあえず、浄化!


 体内を巡る天力で、早く妖力をキレイに洗

い流さなきゃ。

 見える人にしか見えない金色の光が、ふわ

りと全身に滲んで――。




 数秒後。

 女の子はビクッと身体を大きく揺らして、

瞳に色をとり戻した。

 周囲から安堵の声がもれる。


「良かったよ〜、奈良ちゃん!!」



 …………ならちゃん?



 これが『奈良橋まつ子さん』に関わる、私

の初仕事。
 

 
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