「……おはよ、」



 手首をふいに掴まれて、私の肩は必要以上

にビクッと跳ねた。

 しーちゃんは小さく欠伸をしてからゴロリ

とこちらに転がり、その体勢のまま私の顔を

見上げる。



「あ……おはよ」

   


 同じベッドで目覚めたことを何ひとつ気に

する様子もないしーちゃんは、いたって平静。

 ……あれ。彼女さんとか大丈夫なの?

 やっぱり幼なじみはセーフなもん?

 困惑と緊張をできるだけ抑えこんで、口元

だけで笑ってみせた。

 だってそう来られたら、同じ舞台に立つし

かないもの。




「ねー、昨日のコト覚えてる? かなり酔っ

てたみたいだけど」



 うわ……ドラマみたいな台詞だぁ。

 まだ眠そうなしーちゃんの流し目はやたら

艶っぽくて、今度はヒロインというよりも視

聴者な気分で見つめ返す。

 ほぇー。お泊りした相手の前では、こんな

ふうに目覚めるんだ〜。

 少しかすれた声とか、無造作に髪をかきあ

げる仕種とか。たしかにちょっとドキドキす

るかもしれない。

 しーちゃんに夢中になる女の子はルックス

重視ってわけじゃなく、こういうちょっと抜

けた姿に『きゅんっ』ってなったりするのか

な?

 ……ってことは今カノも元カノも、それな

りの行為をして朝を迎えてるはずで……。



(うっきゃ〜っ!! 身内でこれ以上はムリ!)


 私には過ぎた想像だったらしく、しばらく

脳がフリーズする。




「……ったく」



 返答もせずにボケッと座り込んでいる私を

『記憶ナシ』と解釈して、しーちゃんは呆れ

たようにため息をついた。

 ふわりと身体を起こし、私の頬をけっこう

な力でつねる。



「どんだけハメ外せば、あーなるわけ? 歌

う、踊る、最後は吐く。マジでドン引きなん

だけど」



「えぇ!?」



 あはっ。完全に記憶がとんじゃってる。

 そう教えられても覚えてるのは最後、朱理

にからまれたとこまでで、苦笑いしかできな

い。



「お酒弱いこと自覚しろって、前にも忠告し

たよね? 男女かまわずベタベタもたれかか

って、ずいぶん安く上がってたらしいじゃん」



「しーちゃんってば……見てたようだね」



「他のお姉さま方がこぞって報告してくれた

よ。よっぽどがウザかったんじゃない?」



 吐き捨てるような口調からは、女の子とし

てかなり恥ずかしい姿を晒しちゃったんだっ

てことが窺えた。

 思わず耳をふさいでしまう。



「分かったから〜、もう言わないで! ゴメ

ンナサイ! 次は気をつけるからっ。ね?」

   


 反省の言葉を口にしたのに、しーちゃんは

更に怒りを露わにする。



「はぁ? あんな醜態さらけ出しておいて、

次なんてあり得ないでしょ?」



「……あはっ……」



「奈良橋さんが付いててくれたから良かった

ものの。普通なら、そのへんのヤツらにどっ

か連れ込まれて痛い目にあっても、被害届な

んて出せない状況だからね」



「またまた……」


 大袈裟なんだからぁ……。

 そう口にしかけて、しーちゃんが奈良ちゃ

んと面識をもったことに気づいた。

 後々の行動を考えて、なるべく存在を表に

出さない作戦だったはずなんだけど――。

 どうやら、連絡のない私を心配したしーち

ゃんと、どうしていいものか困った奈良ちゃ

んが、私の携帯電話で繋がったらしい。



「まったく。彼女が代わりに出てくれなかっ

たらって思うと、背筋凍るよ。次会ったら、

ちゃんとお礼しなきゃね」



 奈良ちゃんの話題になって、ようやくしー

ちゃんのカオが和らいだ。

 ふぅ。

 私はひっそりと胸をなで下ろす。



「奈良ちゃん……可愛かったでしょ? オシ

ャレだし、凛としてるし。しーちゃんのタイ

プだよね」

   


「まあね。プライベートでお守りなしだった

ら、2次会に参加したいとこだったよ」



「ふふっ」



「彼女の自立心、も少しは見習ったら?

仕事もそうとう出来るんじゃない?」



「うん、そうなの! 男の営業さんにもビシ

ッと意見して、そんでもって気遣いも上手で

ね。とてもじゃないけど『妖力者』に『妖人』

として狙われるような存在じゃなくて……」



「……。その話は、また後でね」



 声を弾ませた私をそう静かに制して、しー

ちゃんは一瞬だけ表情を曇らせた。

 でもすぐ思い出したように恐い顔に戻って、

私の頭をガシッと押さえつける。



「とにかく、昨夜のは酷かったんだよ。

もう2度と合コンなんて行かせないからね。

こっちの身がもたないって」



 自分のキャパが分かるまでは大人しくする

ように! なんて、よく考えたらかなり理不

尽だ。



(なによぉ〜、遊びじゃないもん。仕事でし

かたなく参加になったんだもん。社会勉強に

もなるからって、そっちが行けって言ったく

せにぃ〜)



 昨日の昼間の一件で、蒼くんと連絡が取り

づらくなったことも重なって、さすがの私も

言い返せずにはいられなかった。



「いいかげん、子供扱いしないでよねーだ。

もう大学生なんだから、いざとなったら1人

でどうにかするもん。自分のことくらい自分

で決めるんだからっ」



 反抗的な態度が癇にさわったらしく、しー

ちゃんはあからさまにムッとして冷ややかな

目を向ける。



「……へぇ。じゃあさ。1人じゃ寝れない〜

とか駄々をこねて、無理やり僕を同じベッド

に引っぱりこんだのは、どこの誰なわけ?」



「う……」



「子供扱いはヤメロなんて、どの口が言うの?

温室育ちのお嬢さまで、自分の尻拭いもでき

ない甘えたのくせに。そういうのは人の力を

借りずに立てる人間だけに、許されるワガマ

マでしょ?」



 うぐっ……。

 正論並べられたら、太刀打ちできない。

 でも今回だけは……負けないんだから。



「な、なによぉ。そもそもココに連れて帰る

必要なかったじゃない。1人で寝るには、し

ーちゃんのベッドって無駄に大きいんだもん。

だから落ちつかなかっただけで……。自分の

部屋だったらいくら酔っぱらってたからって、

そんな幼稚な甘え方しないんだからっ」



 必死に食い下がる私をよそに、しーちゃん

はしらっとして続ける。



「あっそう。あんな姿を家の人達に見せて

良かったわけね。お見合いを控えてる宗家の

長女が、あんな無様なカッコウで門をくぐっ

たりしてみなよ。世間体を何よりも気にする

おじ様が、その後どんな行動にでるか」



 ……えっとぉ…………。



「まず籠に閉じこめられるだろうね。有無を

言わさず大学には退学届を叩きつけて。他で

間違いが起こる前にって、お見合いすっ飛ば

して即結婚。天力を受け継ぐ子供を産むまで、

2度と外の空気なんて吸えなくなるんじゃな

い?」



(うわ。よくそんな恐いことを、次から次に……)



 リアルすぎる妄想を淡々と並べられて、思

わず涙目になる。

 やっぱりしーちゃんには勝てないの。

 絶対に敵に回しちゃダメな相手なんだ。



「ごめんなさい……」

   


 私がしゅんっとなって俯くと、しーちゃん

はやっと瞳を細めてくれた。



「とりあえず顔でも洗ってくれば? 昨日の

メイク、ぐちゃぐちゃだよ」



 いつもの悪戯っぽい笑顔。

 前髪をクシャリと撫でる大きな手に安堵し、

私はベッドからゆっくり足を下す。

 良かったぁ。




 散乱した小物をかき集め、とりあえずA4

サイズのバッグの中に放り込んだ。

 チラッと視界に入った携帯の背面ディスプ

レイには、着信5件。メール3件の表示。


(蒼くんが心配してくれてるかもしれない……)


 心臓がぎゅんって脈打って切ない気持ちに

なったけど、今すぐ駆け出すわけにもいかな

かった。

 ここは慎重に。注意深く!

 よしっ。まずお風呂を借りて、そこでこっ

そりメールを返そう。

 でもってカワイイ服に着替えなおして、昨

日のこともちゃんと説明できるように準備し

てから、蒼くんに会いに行くんだからっ。

 

 バッグを肩掛けしようと持ちあげる。

 その時、開きっぱなしのサイドポケットに

重みのあるガラスボトルを見つけた。

 太陽の色をした、手のひらサイズの蝶。南

国の果実を感じさせる、甘いフレグランス。

 いつか欲しいなぁってリクエストしてた香

水だったから、すぐにしーちゃんからの贈り

物だって気づいた。



「きゃあ! ありがとっ……」

   


 歓声をあげて抱きつきそうになって、ギリ

ギリのところで蒼くんの顔が浮かぶ。

 いけない。いけない。もう簡単にハグした

りしちゃダメ。

 子供は卒業しなきゃなんだから!



「ありがとう。大切にするね」


 はしゃぎたい気持ちを自制して、大人っぽ

く振る舞ってみせると、


「ふ〜ん」


 なんて、しーちゃんは訝しげに視線を投げ

てベッドから降りた。



「ねえ。『ココ・シャネル』の有名な話、知

ってる?」



「え?」



「香水ってどこにつけるのが一番なのか? 

って尋ねた女の子に、彼女は答えたらしいよ。

『あなたが恋人に、キスされたいと思うとこ

ろにつけなさい』って」



 まぁ、まだには早いけどね――なんて、

憎らしいカオで斜めに振り返る。



「なっ……また子供扱いして……」



 私にだって蒼くんがいるんだから!

 クリスマスを一緒に過ごしちゃうんだから!

 そう叫びたいのをグッと堪えて背中を睨み

つけていると、デスクに転がった携帯を手に

したしーちゃんが「ヤバッ」と小さく声を上

げる。



「、急ぎなよ。あと15分で来る」



「ふぇ? 誰が?」



 ラグにアヒル座りをして手鏡をのぞいてい

ると、信じられない名前が耳に飛びこんでき

た。




「――蒼。ココに呼んであるから」



「!?」




 作戦会議を開くことになってる……なんて、

そういうことは早く言ってよ。

 今さら間に合わないじゃない。

 シャワーもメイクも、この状況を説明する

言い訳も……。

 

 蒼くんは絶対、遅刻なんてしない。

 その予想通り、インターホンは10分後に

鳴り響いたの。



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