◆    5.ある意味、最後のハッピーデイ



 スタイリッシュな家具が並ぶ、天海家のリ

ビングルーム。

 来訪を知らすチャイムが鳴ってから7分た

って、私はおどおどと1階に降りた。

 コーヒーの香ばしい匂い。

 白いレザーのソファーに浅く腰をかけた蒼

くんが、笑顔で談笑してるのが見える。

 ふと目が合った。


「あ……」
   

 思わず足がすくむ。

 一歩を踏み出せずにたたずんでいると、気

付いたしーちゃんがメンドクサそうに声を投

げた。



「何してんの、。早くコッチ来なよ」



 責めるように促されて、躊躇いながらもテー

ブルを挟んで向かい側に座る。

 L字型のゆったりとしたソファー。

 正面に蒼くん、右にしーちゃん。

 毛足の長いボルドーのラグに私がぺたんと

お尻をつけると、妙な三角形ができた。

 ……うぅ。何だか落ちつかない。



「、おはよう」



 目線を上げられないでいる私に、蒼くんは

普段と変わらないトーンで笑いかけてくれた。



「……あ……おはよ」



「ふっ。お前、まだ眠そうだな。天海からだ

いたいは聞いた。昨日は大変だったらしいな。

お疲れ」



 …………あ……れ?

 怒られるかも! って身を縮めてた分、あ

まりにもサッパリした返しに拍子抜けする。

 えっと。えっとぉ……。 


  
「大変ってほどじゃないよねー、は。

初合コン楽しんで、記憶とぶほど飲みまくっ

て」



 しーちゃんが顔をしかめて、厭味たっぷり

に横やりを入れた。

 

「まったく、お疲れはこっちだって。ベッド

の真ん中占領してくれちゃって、ゴロゴロ寝

相も悪くてさあ。おかげでひどい寝不足」



 ぎゃあ〜っ!!
   

 そんなこと今言わなくてもイイじゃん!!

 私にだって『イイワケの段取り』ってもの

があるのに〜!

 しーちゃんの口を塞ぎたくて思わず身をの

りだす。

 けどそれでも蒼くんは相変わらず、ポーカー

フェイスをくずさないの。



「たしかに。寝相、良さそうには思えないな」



 まだ湯気のあがるカップに口をつけ、穏や

かに笑う。



(あ……。もしかしてそういうの、気になら

ない人? それとも呆れてるの?)



 いつも通りで一安心なはずなのに、この平

穏さが反対に落ちつかない。

 こんな軽い女だとは思わなかった……とか

って、幸せな数日間をなかったコトにされた

らどうしよう。



 私たちって、恋人同士でイイんだよね? 

なんて確かめたくなるくらい素っ気ない蒼く

んの態度に、落ち込まずにはいられなかった。










「――で、本題。『奈良橋まつ子さん』の

コトなんだけどさ」



 天海家のお手伝いさんが、私にあったかい

ココアを運んでくれる。

 彼女が退出したのを見計らって、しーちゃ

んは昨日の夜の出来事について話し始めた。



「僕が見た限り、真っ黒だね。何かに憑かれ

てるのは間違いないと思うよ」



 私を連れて帰ろうと、しーちゃんがカラオ

ケルームに駆けつけたのは0時前のこと。

 待っていた奈良ちゃんは幹事という責任感

からか酔っぱらうこともなく、受付カウンター

前で私を介抱してくれてたらしい。

 飲みすぎた状況を丁寧に説明して。

 悪いわけじゃないのに、しーちゃんに謝っ

て。

 荷物をとってくるからと、いったん2次会

の部屋に入っていったという。



「でさ、3分後に戻ってきた時。何でかあき

らかに『妖力』が見えたんだよね」



 そして彼女は目の前で倒れた。

 オフィスで初めて会った時みたいに、精神

の一部を喰われかけて。



「大丈夫だったの!? 奈良ちゃんは平気?」

   

「うん、心配ないよ。陀羅尼だらにで祓える程度の、

微力な気だったから。前回同様、少しして戻

った」



 でも通常の『妖人ようびと』とはどこか違う。

 スイッチが入ったみたいに突然、妖力が内

からあふれ出た感じだった。

 彼女の負の精神を喰らう――というよりも、

『妖』をわざわざ植え付けているような。

 そんな印象を受けたと、しーちゃんは眉を

ひそめた。



「近くに妖力者ようりょくしゃがいたってことか? 天海の

隙を見て、彼女に何か仕掛けたとか」



 蒼くんが真剣な目をする。



「それがさ、気配なかったんだよね。あの距

離で、この僕が何も感じなかった」



 もちろん部屋を確認したけど怪しい人物も

見つからず、奈良ちゃんのことも『酔いが急

に回った』で済んでしまったらしい。



「どういう事だ?」



「分かんない。見落としたか、それだけの力

のある奴の仕業か」



「いや、でも。天海の目を誤魔化せるほどの

奴なんて」



「……」



「まさか……祟峻すいしゅん?」



 日当たりの良いこの部屋に、不釣合いな重

く淀んだ空気が広がった。

 すべての始まりで。終わらすために排除必

須な『妖力者の長』。

 2人がどう考えてるのかは分からないけど、

できるなら私は、そんなラスボスになんて会

いたくないの。

 どうこうできるかもなんて期待されたくな

いし、しーちゃんと蒼くんにも深入りして欲

しくない。

 ずっと倒せなかったんだし。ほんとムリ。

 絶対にムリ決定!

 私たちも1000年の歴史の一部でイイじ

ゃない?

 だから……。



(今に限って、のこのこ現れないでよぉ)



 祈るような気持ちで窓の外に目をやる。

 見上げた空は霞がかったみたいに白くて、

その寒々しさに喉がカラカラに渇いてきた。

 よそ見をしたままココアに手を伸ばす。

 ネイルがカップの淵にぶつかり、カランッ

と思いがけない綺麗な音を響かせた。


 それを目の端で拾ったしーちゃんは、フッ

と唇の力を抜いて沈黙を破る。



「まー、もうちょっと様子見だね。年内には

片を付けたかったけど、あと半月――大学の

後期試験が始まるまでかな。それまでには、

を呼び戻すからさ」



 もう少しだけOLさん頑張ってよ、なんて

続けるしーちゃんに、私は悲鳴に近い声をあ

げてしまった。

 そりゃ奈良ちゃんは心配だけど。

 何かあるなら助けなきゃ、だけど。



「待ってよっ。さすがに授業復帰しないとヤ

バイって。テスト勉強とかぜんぜんやってな

いし……」



 何となくで出来る子じゃないの、知ってる

でしょ?

 単位落として留年なんかしちゃったら、お

父さんの思うつぼだ。

 

「俺が見てやる」



 私の泣き言を遮って、蒼くんは落ちついた

声で言った。



「冬休み入ったら毎日でもいい、第一外国語

は教える。パンキョウはノート渡せるし、専

門のレポートも手伝うから」



 表情は事務的だけど、真っ直ぐに私を見つ

めてくれる。


「だから、頼めるか?」



 あ……優しい瞳。

 私のこと嫌いになってない?


 勉強云々よりも、毎日会って構わないんだ

ってことが嬉しくて。

 花が咲いたみたいに心が明るくなるの。



「うん……それならイイ。蒼くんがいてくれ

るなら」

   

 弾む声を抑えながら答えると、蒼くんは控

えめに口角を上げた。

「決定だね」としーちゃんは音をたてて手の

平を合わせ、柔らかいカオで私を見る。

 けど――。

 少しして、脚を組みなおして急に姿勢を正

した。



「でね。もう1つの方だけどさ」



「ん?」



「土曜のお見合いの件、相手分かったよ」



「え!?」



 驚いて高い声を出した私の反応が、予想通

りだったのか。こちらを振り返りもせず、しー

ちゃんは背後の飾り棚にたてかけてあった

iPadをゆっくりと引きよせる。



「ねぇ、誰? どこの人? 一族の人間?」



 矢継ぎ早の質問にも無言で、視線を落とし

たまま指先で画面をスライド&ノック。

 顔を上げたのと、ディスプレイをこちらに

向けたのはほぼ同時だったと思う。

 私はなだれ込むようにしーちゃんの横に座

った。

 画面には大手金融機関の企業概要が映しだ

されている。

 その中心の役員プロフィールをもう一度ゆ

び先で弾くと、現れたのは『本店長』の赤文

字。

 画像が小さくて見えづらいけど、インテリ

な雰囲気で気難しいって印象の20代後半の

男の人だった。



「早乙女財閥の御曹司。早乙女和成さおとめかずなり」



 しーちゃんは抑揚のない声で呟く。



「天力はないけど、地位と金はある。こいつ

がおじ様の選んだの結婚相手だよ」



 意外だった。

 お父さんが選ぶ人だからてっきり、力の濃

い一族の人間だと思ったのに……。

 戸惑う私をチラっとだけ見て、しーちゃん

は話を続ける。



「かつては『早乙女』もね、天力者を輩出す

る家に近い家柄だったんだ。だから薄くて

も血は続いてるはず。でもここ何代かは力を

持った者が生まれてなくてさ」



 もう一度能力を繋げたい、早乙女家。

 財力確保のために強い閨閥を結びたい、家。

 両家の意が合致した形での今回の縁談、しー

ちゃん曰く「その思惑は固い」らしい。

 
「が大学を卒業してから――なんて、悠

長に待っててはくれないかもね」


 なんて、他人事のように笑う。



 蒼くんは口を挟むことはしないで、ただ静

かにコーヒーを飲み続けていた。

 一瞬だけ目が合う。

 彼は歯痒そうに唇をかんで、ダラリと下げ

た左手で拳を作っていた。

 チラっと見えたカップの中身は空っぽだっ

た。


 心臓が痛い。



「……私、ヤダ。絶対やだっ。こんな人と結

婚なんてあり得ないんだから!」



 蒼くんに嫌われたくなかった。

 面倒くさいって、手放されたくない。

 だから必死なのに……。

 しーちゃんはとんでもない事を口にする。



「別に、それはそれでアリなんじゃない?」



「!?」



「相手は年上の超セレブ。しかもは同盟

の証。ただ子作りに励むってだけで、姫あつ

かいしてくれるよ。ずっと望んでたような優

雅で、のんびりした生活が送れるかもしれな

い」



「なっ、なによぉ……」



 蒼くんの方を向くのがますます怖くなった。

 心無い言葉を平然と述べるしーちゃんに、

ジワジワと腹立たしさがわき出る。



(その子作り……が、私にとっては一番深刻

な問題なんじゃない。愛されてもいないのに

Hなんてできないよ。恋愛も経験・・もまだなの

に、いきなり結婚だなんて考えられない!)



 怒りを煽るって分かってるくせに、どうし

てこんな意地悪を言うんだろう。



「セレブとか優雅とか関係ない。私は子供を

産むマシーンになる気はないんだよっ」



 しーちゃんのセーターの裾をギュっと握っ

て、負けるもんかと正面から見据える。



「私は……私をちゃんと好きになってくれる

相手と結婚するの。それで生まれた子供が天

力をもつなら仕方ないよ。でも天力者を創る

ために、お家のために……とかで、お嫁さん

になったりはしないんだから」



 知ってるくせに……って呟くと、「分かっ

てるけどさ」としーちゃんはため息をついた。



「覚悟が足りないって、思ってね」



「……覚悟?」



「言っとくけど、早乙女との結婚を阻止する

のは並大抵のことじゃないんだよ。思いつく

限り方法は1つしかない。要はその唯一を、

がどんな事をしてでも僕にやって欲しい

かってこと」



「して欲しいよっ!」



 振り絞るよう声で、訴える。


 
「だってこんなの頼れるの、しーちゃんしか

いないじゃない。大学辞めさせられて結婚な

んて、絶対にイヤ。そうならないためなら、

私どんな事だってするから!」



「手段は選ばない?」



「うん」

   

 強い意志で頷く。

 そうだよ。私の人生はこれからなんだから。

 受験勉強がんばって、どうにか大学生にな

れた。蒼くんを好きになって、やっとカレカ

ノになれた。

 それでこれから、女の子に生まれて良かっ

た〜ってことをいっぱい経験するんだ。

 ギュッてされて、キュンとかなったり。

 たまにズキンって落ちても、またまたドキ

ドキ高鳴ったり。



 ……も、もちろん。

 蒼くんのことばっかじゃないよぉ。


 ただ自分で決めて進みたいだけ。

 与えられた穏やかな毎日より、思い通りに

いかなくたって選択肢の多い生活の方がずっ

とずっと幸せだと思うの。





「分かった、よ」



 睨みつけるみたいに視線をそらさない私を

しばらく見つめ返して、しーちゃんはフワリ

と優しい顔をした。



「の守護役として、全力を尽くすね」



 だから安心しなよと、左手をのばしてクシ

ャリと私の髪をなでる。

 そしてそれ以上、何も言わない。

 でも何か言いたそうな横顔。



「……しーちゃん……?」



 どこか憂いをおびてるって感じるのは、私

の思い違いかな?





 コンッ コンッ


 そんな時、お手伝いさんが再び扉を叩いた。



「失礼いたします、紫己様。リールより奥様

から国際電話が入っておりますが」



 お出になられますか? の問いを待たず、

しーちゃんはスッと立ち上がり受話器を受け

とる。



「あ、母さん。久しぶり……音楽祭はぶじ終

わった? えっと……ゴメンね、多忙なのに。

……うん……ちょっと頼みがあるんだけど」



 片手をヒラリと上げて、私たちに席を外す

ことを伝えると、しーちゃんはそのまま部屋

を後にした。

 入口のドアがパタンと音をたてる。

 



「リール、って?」



 耳心地の良い蒼くんの声が、久しぶりに頭

上に響いた。



「あのね、フランスだよ。しーちゃんのママ

はピアニストで、ずっと海外で仕事してるの」



 言葉を交わせることが嬉しくて、無邪気に

彼の顔を見上げる。



 あ…………。


 そして初めて気付くの。

 やっと2人きりになれたことに。


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