◆第一章  1.カタルシス



 ぐしゃっ。

 よろめいた右足に、鈍い感触が伝わった。

   

「いやぁ〜! 『リオン』の秋期限定モンブ

ランが〜!!」


 この場の緊迫した空気に似つかはしくない、

駄々をこねる子供みたいな奇声をあげて、私

は思わずその場に硬直する。


 午後9時の、薄暗い境内。

 お気に入りのブーツに踏みつけられて無残

にも形を崩した茶色い箱が、数秒前まで自分

が何よりも大切に抱えていた物だなんて信じ

たくない!



「! 早く蒼の後ろに回れ! 喰われた

いの?」


 目鼻立ちの整った女の子みたいなキレイな

顔の、しーちゃんこと天海あまみ紫己しきが、向かって

右側の少し離れたところから私を叱咤した。


「……っ! なんでお前、まだそんなとこに!」


 左斜め前ではいつもクールな蒼くんこと――

月島蒼つきしまそうが、驚いた表情で小さく叫ぶ。


 私達3人の中心には50歳前後のおじさん

……みたいに見える、しーちゃん達が2週間

前から追っていた妖力者ようりょくしゃの姿があった。

 
 内に住んでいる『人とは違うモノ』を、不

幸にも感じとれてしまう体質の私たち。


 大学の帰り道、みんなで軽くゴハンを食べ

て、お気に入りのカフェでケーキを買って。

 さあ、帰ってお母さんとお茶にするぞ! 

って時に、駅の裏通りでぐうぜん再会してし

まった。


 2人が男をこの神社に追いつめた時点で、

私は静かに立ち去るべきだったんだ――と、

今さらながらに後悔する。



「食べたかったのにぃ……」


 もう元には戻らないつぶれた箱に、未練が

ましく両手を差しのべていると、半ば怒った

ようなしーちゃんの声が響く。


「だから、今はそれどころじゃないじゃん。

早く、蒼の方へ走れって!」


「ふぇ〜。そもそもしーちゃんがぁ……」


 背中を突き飛ばしたのが原因なんだ。

 妖力者からの攻撃を回避するためでも、も

う少しソフトなやり方があったんじゃないの

……? と恨めしく思う。


「、後ろ!!」


 蒼くんが血相を変えて叫びながらこちらに

駆け寄ろうとしたのと、私の頭上に大きな影

が降りかかったのとはほぼ同時だった。

 身体をたてなおした時、私はすでに後ろか

ら羽交い絞めにされた格好で、男の腕の中で

人質になっていた。


「……オレを見逃せ…。さもなけりゃ今ここ

でこのむすめを喰らって、生きた屍にしてやる」


 黒くて重い闇のような妖気を滲ませながら、

おじさんは私の首を締めつける左腕に力を入

れる。

 蒼くんはキュッと下唇を噛み、迷った表情

を一瞬だけ見せた。

 でもすぐに冷静を装い、強気に妖力者を睨

みつける。


「見逃す? 無意味だろ。お前はどこに行っ

たって、人を喰わずには存在できない。どう

せ明日には、誰かが屍になる」


「フッ。お前らとは縁のない、どこかの娘を

狙ってやるさ。だったら文句もあるまい。人

間なんて、結局そんなもんだろう」


 ふてぶてしく口角をあげた妖力者に、蒼く

んは抑揚のない静かな声で答えた。


「……確かに、その方が楽だな。俺が天力者てんりょくしゃ

じゃなければ」


 私を挟んで、蒼くんと妖力者の間に駆け引

きめいたセリフが交わされる――。




「ったく、がぼやぼやしてるから、面倒

なことに……」


 蒼くんよりも距離のある所で、しーちゃん

が軽く舌打ちをする。


「う……ごめんなさい……」


「はい、はい。ゴメンはいいから、自分で何

とかしてね」


 そう冷たく言い放ったしーちゃんに小さく

口を尖らせてみせた後、私は正面に向き直り

蒼くんの目を真っ直ぐに見つめた。


 了解した――というように、静かに首を縦

に振る蒼くん。そしてすぐ、妖力者に向けて

右手をゆっくり構える。


(……うわぁ……。始まる…………)


 不謹慎にも多少ワクワクしながら、私はそ

っと息を飲んだ。

 蒼くんが浄化じょうかするところを見るのは、1カ

月ぶりくらいだろうか。

 


 まずは精神を統一し、大地に廻る自然のエ

ネルギー体である『気』を、全身に集める。

 そして体内に廻らせ、天力と呼ばれる力に

変換した。


 掌に、見える人だけが見える光の渦を浮か

べると、澄みきったオーラが蒼くんの身体を

包み込んで、蜃気楼のように揺らめく。



   
 
(あぁ、来た……)


 天力が宿った瞬間を確認し、私はキュッと

気を引き締めた。




「!? オマエ、この娘がどーなっても……!」
 

 自分が浄化されると悟った男は体を反らし、

一瞬の動揺を見せる。

 それを見逃さず、私は男のすねを思いきり

蹴飛ばしてやった。


「えいっ! 痴漢撃退!!」


 子供の頃から家の道場で、古武道なんて呼

ばれるものを一通り叩き込まれた。

――とは言え、ああいう汗臭いコトは苦手で、

ここ数年は稽古なんてほとんど受けていない。

 そんな中途半端な私の攻撃に、体制不利が

変わるはずもなかった。


「何しやがる!?」


 苛ついた様子で声を荒立てる妖力者。

 でも少しの隙ができれば十分だった。


 私はクルリと身体をひるがえすと、おじさ

んの額に手の平を軽く当てて、私の内に宿る

天力をわざとフワリと滲ませて見せた。


「……なっ……!? そんな、バカな……」


 私も天力者――だなんて、考えもしなかっ

たんだろうなぁ。


 想定外な追い込まれ方に、男は青ざめて身

を震わす。


「うぅ……ほんとはヤなんだけど、しーちゃ

んが怖い顔してるから……。おじさんの妖力、

ちょっとだけ吸収しますね」


「……女のくせに、『力』があるというのか?

なぜ、オマエ……が? どうして…………」


 みるみる青ざめて誰にともなく問う男に、

しーちゃんが勝ち誇ったように言葉を投げた。


「実はその子の能力ってさ、僕達よりもずっ

と上なんだよね。『天子てんし』の称号をもつ者――

なんて言えば、お前レベルの奴でもピンと来

る?」


「……天子……正当な血を受けつぐ者……。

……まさか、宗家の姫…………!?」


 男がそう叫びかけた頃にはすでに、私の指

先は淡い金色の光に包まれていた。


「もう終わりにしなきゃ。あなたのせいで、

何人の女の子が犠牲になったか……」


「……『あなた』?」


 フッと男が嘲笑したような気がしたけど、

特別、気に留めることはしない。


「蒼くん!」


 最低限の天力を使って、とりあえず男の身

動きを封じると、私は体を屈めて彼に助けを

求めた。


「右に避けろ!!」


 突き刺すような声と共に、私と妖力者との

間に割って入った蒼くんは、男の顔面を大き

な掌で押さえつけて、宿していた天力を一気

に放出させる。


 男が「ウッ」と低いうめき声を漏らすと、

内に住みついていた別の霊魂が苦しそうに蠢

いて、人体うつわの外に飛び出した。


「きゃっ」


 その反動に思わず声をあげた私の腰を、


「ほら、こっち!」


 と、しーちゃんは自分の元へ引き寄せて、

腕の中に抱え込んでくれる。



――浄化。

 汚れを取りのぞき、正しい状態にすること。



 祈りにも似た想いで、蒼くんが妖力者の存

在を『無』にするのを、私はしーちゃんの鼓

動を聞きながら見届けた。



 放たれた天力の残光に目が慣れた時にはも

う、そこにおじさんの姿はない。

 ただ中心には『タマ』と呼ばれた、霊魂の

欠片かけらがふわりと浮かんでいるのが見えるだけ。


「……悪いな」


 そのタマを左手ですくい取り、蒼くんは表

情なく呟く。


「これ回収すんのが、こっちの仕事だから」






 11月の冷たい風に、彼の前髪がサラリと

なびいた。


 動揺するな、慣れろ。


 そう一生懸命に、感情を抑えつけているだ

ろう憂いをおびた横顔に、私の胸はドキンと

鳴って……。


 カッコイイなぁ……なんて、見つめずには

いられなかった。



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