◆ 11. ノーカウントなKiss
『延長とれたら、パウダールームで落ち合お
う』
しーちゃんの言葉を思い出した私はタイミ
ングを見計らい、「メイク直ししてきますね」
の一言をつかって林の席をいったん抜けた。
バンビーナの化粧室は鏡のある一畳ほどの
洗面所を挟んで、左右にトイレが2つ。
ゲスト専用ではなく、キャストも利用でき
る形になっている。
天井には青く幻想的なライト。
鏡のサイドにはオレンジ色の間接照明。
何かキレイだな〜なんてボーっと見つめな
がら、私はすっかり乾いてしまった唇にグロ
スを塗りなおしていた。
すると1分後、何気ない顔をしたしーちゃ
んがヒラリと入室してくる。
開いたドアの向こう側で、マリーさんがお
しぼりを持って立っているのが見えた。
ゲストがトイレから出てくるのを外で待つ
のも、キャストの女の子の仕事らしいんだ。
(……あ……ってコトは。あんまり長居はで
きないよね……)
しーちゃんは私と目が合うと軽く口角を上
げて合図し、2人きりになっている事がバレ
ないように素早くドアを開閉した。
念のために……と、ロックもかける。
そして両サイドのトイレに視線を向け、こ
れでもかってくらい慎重に周囲を確認すると
――。
珍しいくらいの優しい顔で、ふわりと私に
近づいた。
「、お疲れさま。イイ感じじゃん。上出
来」
馴染みのある声で褒められ。
いつもの長い指で、頭をイイコイイコされ
て……。
張っていた気持ちが、急にダランって楽に
なる。
「うぅ……疲れたよぉ……」
寄りかかりたくなって。
甘えたくなって。
私はしーちゃんの体に勢いよく正面から体
当たりしてから、ムギュッと思い切りしがみ
ついた。
細いけど硬い、筋肉質な身体。
うん、なかなか居心地がイイ……。
そして腰に腕を回したまま、頭1つ分背の
高い整った顔を見上げて。
「しーちゃん……」
意味なくぼんやりと、呼びなれた名前を口
にする。
しーちゃんは一瞬びっくりした顔をして、
しばらく黙って私を見つめ返した。
でもその後いつもの余裕あるカオに戻り、
ぽりぽりとコメカミを引っ掻いて苦笑う。
「……ねえ。、酔ってる?」
「ふぇ〜?」
訊かれて初めて、足元がふらついているこ
とに気づいた。
自覚なかった。意識しっかりしてるし。
でも……ん?
……あれ……?
しがみついたままの腕を引っ込めようとし
て後ろに倒れかけ、今度はしーちゃんに片手
で抱きかかえられる。
「あのさー。何杯、飲んだわけ?」
「え〜っと……」
私は指を折りながら鈍い頭をフル回転させ
て、3杯かなぁ……と答えた。
「確か、ブラッディー何ちゃらとピーチレデ
ィとぉ。カシスミルク……だったような……」
唸るように呟くと、しーちゃんはやたら大
げさにため息をついて、
「ワインとリキュールのちゃんぽんじゃん。
まったく、タチの悪い……」
なんて、顔をしかめて吐き捨てる。
「飲むな! とは言わないけどさ。ピッチ早
すぎじゃない? お酒弱いこと、自覚してよ
ね」
「分かってるもん。でも飲まなきゃ場がもた
ない……っていうか……」
私は唇を尖らせて、しーちゃんの顔を斜め
に覗き込んだ。
ワンセット45分。延長は30分ずつ。
閉店時間は夜中の2時で、その後のアフタ
ーを勝ち取るまで、あと何回この作り笑いを
繰り返せばイイのか……。
はっきり言って、しんどすぎる。
「アナスイのワンピ、1枚じゃ足りない……」
軽く睨みつけて、そう要求した私に。
「言うと思った……」
と、しーちゃんは眼鏡のふちを指先で揺す
る。
「はい、はい。新作のブーツもつけるよ。
――で、納得してくれる?」
「……。私が欲しいのはあのオフホワイトの、
人気のやつなんだけど……」
「知ってるって。スタイリストさんにお願い
しとくから」
「ホント……に……?」
すでに脳内は任務終了後の、『ドキドキの
デートシーン』へトリップしていた。
新作ワンピにブーツを履いて、蒼くんとデ
ート……なんて。
どんだけ豪華なご褒美なんだろう。
「うわぁい! しーちゃん、大好き!」
華やかな妄想にテンションが上がった私は、
思わず再び抱きついて甲高い声を出してしま
う。
しーちゃんは「しっ」と片目を歪ませて、
それを制した。
「……ったく」
そして身体を引き離し、私の額を人差し指
でポンッと弾くと、やれやれ……と呆れたよ
うに深く息を吐く。
コン コン
「……紫己さん……?」
「!?」
私たちの声が聞こえたのか。
長い、と感じたのか。
化粧室の外に待機していたマリーさんが、
遠慮がちに扉をノックした。
「……あの……大丈夫ですか?」
「あ! もうすぐ出るから」
しーちゃんはそう答えると水道の蛇口を強
く捻り、水音をわざと響かせた後、私に背を
向けて視線だけを流す。
「じゃあ、そろそろ戻るよ。何か報告があっ
たら、またココでね」
そうヒラリと手をふり、立ち去ろうとする
が……。何かを思い出した素振りを見せて、
もう一度こちらに向き直る。
「あのさ。もし林に「ゲームやろう!」とか
って誘われても、気安く乗らないようにね。
それってセクハラ男の常套手段だから」
「セクハラ……?」
「そう。相手は客だし、何だかんだ言ったっ
て女の子が罰ゲームすることになっちゃうん
だよね。で、確実に触られるから」
「……そんな淡々と、怖いことを……」
忠告されなければ、簡単にOKしちゃうと
ころだった。
話題を探すより楽。
今の私だったら、絶対にそう考えるもの。
「うん、分かった……。でもアイツ、そんな
のなくても何かとベタベタしてくるんだよぉ」
手を握られるなんてしょっちゅうだし、さ
っきなんてキスまでされそうになったし……。
唇を尖らせて訴えると、しーちゃんの席か
らは死角だったのか驚いた表情になる。
「……もちろん、未遂だよね?」
「じゃなかったら死んじゃうよぉ! 間一髪
のところで蒼くんが助けてくれたの。でも、
次やられそうになったらどうすればイイのか
なぁ……。さすがに、ヤダもん。いくらご褒
美あったって、それは出来ないもん。……だ
って……私さ……」
語尾を濁らせモジモジと体をくねらせた私
を、しーちゃんはきょとんとした顔で見下ろ
した。
「あ……。ファーストキスも、まだだっけ?」
「……うぅ……そうだよぉ」
彼氏いない歴19年の私に、当然のことを
聞かないで欲しい。
……いや。彼氏いなくても、経験済みの女
の子はいるんだろうけど……。
少なくとも私はココまで、甘いシーンには
ご縁がなかった。
「うーん、そっか。確かにあのキモヲタが、
の『思い出の男』になるのは……。こっ
ちも目覚め悪いかも」
「悪いかも……どころじゃないでしょ〜!
そんなことになったら、しーちゃんのコト一
生恨んじゃうんだから!」
両手で握り拳を作り上下にブンブンと振り
回す私の姿を見て、しーちゃんは乾いた笑い
声を零した。
そして髪をサラリとかきあげ、ちょっと考
える様にいったん視線を外してから。
伏し目がちに私を見つめる。
「……じゃあ。に、恨まれたくないから
さ……」
そう静かに呟くと、今まで見たことのない
ような色っぽいカオをして――。
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