◆ 4.オレンジ色の甘い時間
たかが一緒に、帰るだけなのに。
(……蒼くんと2人きりで歩くのは、これが
初めてかも……)
そう思うと妙に緊張して、いつもみたいに
くだらない会話が思い浮かばなかった。
ふと見上げると、空はキレイな夕焼け。
なのにそれを感嘆する余裕さえなくて、私
は口を閉じたまま、彼の少し後ろを歩いてい
る。
蒼くんはどちらかというと無口な方だ。
私が喋らなきゃ、このまま家まで……なん
てことも十分に考えられる。
(……うぅ……どうしよう。せっかくのチャ
ンスが〜……)
ソワソワと落ち着かない私をどう思ったの
か、蒼くんは静かに振り向き、フッと瞳を細
めた。
「そう言えば、初めてだよな。と2人で帰
るのは」
あ……。
全身の力が急に抜ける。
心地の良い、このタイミング。
(また、同じコトを考えてた……)
それが分かるだけで、こんなにも安心でき
るのはどうしてだろう。
「そうだね。何か新鮮だよね」
私は平静を取り戻し、前を歩く蒼くんに小
走りで駆け寄る。
が、その途中でガタイのいい男子高校生の
脇にぶつかり、軽く跳ね飛ばされてよろめい
た。
「……」
躊躇うことなく伸ばしてくれた逞しい彼の
腕に、私は加減なく全体重でしがみついてし
まう。
(……うわぁ……)
「軽く、飛んだな。慌てんなよ。ったく、危
なっかしいヤツ」
ぶっきらぼうな物言いで呆れたように笑わ
れ、私は嬉しさと恥ずかしさでいっぱいにな
った。
「うぅ……ごめん。重たかったよね……」
視線を合わすことができずに、とりあえず
慌てて体を離す。
「私ってば、ぼんやりしてて……。しーちゃ
んにもそれでよく怒られるんだけど……」
ただテレ笑いを繰り返す私をジッと見下ろ
し、蒼くんはこめかみをポリポリと引っ掻か
いた。
「こっちこそ、悪い。俺、歩くの早かったん
だろ?」
そしてすまなそうに呟く。
「考えてみればいつもお前達って、いつの間
にか俺の後ろにいるよな」
「え……?」
「そうか。天海は何気なく、お前の歩幅に合
わせてて。だから俺だけ、気づくと1人でず
いぶん先に……」
「なに? どーいうこと……?」
「イヤ。分からなきゃ別にイイ。だから何っ
てわけでもねーし。……でもただ、こうやっ
て2人で歩く時は、俺がお前に合わせなきゃ
いけねーんだって、実感したって言うか……」
珍しい。
いつもクールな蒼くんが、何だか戸惑って
いるみたい。
「――だから、悪かった。反省。けど、これ
からはお前も言えよ。俺は天海みたいに、そ
ういう方面には気がきかねーんだから」
(蒼くん……)
思いがけない優しい言葉に、胸がきゅんと
揺れるのを感じた。
ちょっと頬を赤らめて、「以上」とそっぽ
を向いた蒼くん。
その姿が何だか可愛くて、もう一度腕にし
がみつきたい! という衝動にかられてしま
う。
私はここぞとばかりに、彼をマジマジと見
つめた。
身長180センチ。
バスケで培ったという、キレイに筋肉のつ
いた細すぎない身体。
シャープな顎に、薄い唇。
サラリとした前髪がたまにかかる、鋭い瞳
がすごく好み。
いつもキリッとしているのに、真面目とは
またちょっと違って。
どこか近寄りがたい、「気安く話しかけん
な!」オーラをかもし出しているくせに、笑
顔はすごく親しみやすくて。
しーちゃんに、初めて紹介された日。
視線がぶつかったその瞬間に、私はあっけ
なく恋に落ちてしまった。
頭の中で火花が飛び散ったような、あの強
い衝撃。
それが一目惚れだと気づいたのは、こんな
風に不器用に優しい彼を、少しずつ知るよう
になってから。
天力者という、大嫌いな血筋だけど。
今回だけは家の人間に生まれて良かった
と、心底感謝する。
(じゃなきゃきっと、学部も学年も違う蒼く
んとは、話すこともなかったもんね……)
よし!
この機会に、もっと仲良くならなきゃ。
それで絶対に、いつかは彼女に――。
でも。
そんな浮かれたことを考えている場合では
なかった。
少しして今度は蒼くんが体をよろめかせ、
歩道脇のガードレールに両手をついて俯く。
「……悪い。ちょっとタンマ……」
「蒼くん!?」
もちろん、誰かとぶつかったわけではない。
浄化の反動が、また襲ってきたんだ。
私は足を止め、慌てて彼の顔を覗きこんだ。
顔が真っ青。
肩も微かに震え、冷や汗が首筋をつたって
いる。
「大丈夫? 吐きそう?」
「……ああ。何かまた、波がきた……かも……」
そうだよ。さっきまであんなに辛そうだっ
たのに。
楽になった……なんて言ってても、完全な
わけないじゃん。
あー! 私のバカッ!
どーしてちゃんと、気づいてあげられない
の!?
自身の思いやりの足りなさに、まったくイ
ライラする。
「ガマンしないで、蒼くん。イイんだよ、吐
いちゃって大丈夫だからね」
「……サンキュー。でもさすがに、ここじゃ
……」
蒼くんは苦しそうに表情を歪ませながら、
無理に口角を上げてみせた。
車通りの激しい大通り。
舗道を半分ふさいで立ち止まる私たちに、
行き交う人々が好奇の視線を投げる。
私はピタリと体をくっつけて覆い隠すよう
にし、ゆっくりと彼の背中を左手で摩った。
「……蒼くん……」
きっと、気休めにしかならない。
でも何もしないよりはマシだよね。
(少しでも、楽になりますように……)
顔色が回復してきた……と感じた時、それ
まで瞳を伏せていた彼が、突然ブルッと肩を
揺らせた。
「だ、大丈夫? 寒いの?」
「……いや、違う。何か、急に軽く……」
「ホント? 良かった……」
数回まばたきを繰り返し、丸めていた背を
伸ばした蒼くんに、私は安堵の息をもらす。
「じゃ、急いで帰ろう。次の波がこないうち
に」
思わず腕を絡め、いつもしーちゃんにする
みたいに何気なく身体を引き寄せた私に、蒼
くんが驚いたような視線を投げた。
「触れられたところが、熱い……」
「……え?」
「そこから何か入ってきて、急に体ん中が透
き通ったみたいになる」
「え? 何? どういう……」
「……やっぱり、気のせいじゃない。お前の
『気』が、流れてくる感じで……」
私には蒼くんの言っている意味が、全く理
解できなかった。
気って、天力のこと?
蒼くんの中に流れるって、いったい……。
「。お前って、『治癒力』みたいなのも
あるのか?」
気付けのためにガシッと髪をかきあげて、
彼はまだぼんやりとした雰囲気で、ゆるりと
視線を向けた。
きゃっ。顔が近い〜!
その艶っぽさにドギマギしながら、私は勢
いよく首を横に振り「ないよ〜」と否定する。
「……でも私の力って、あまりよく分かって
なくて。何か、女の子に天力が宿るなんて、
今まで例がないんだって。だからある意味、
蒼くんと一緒で未知数なの」
あえて知る気はないんだけど。と付け足す
と、「お前らしいな」と蒼くんは屈託なく笑
って返した。
(あ……いつも通りだ。良かった……)
「あ……ヤバイ、もうこんな時間だ。少し、
急ぐか。お前の弟、待ってるよな」
ゴツイ腕時計にチラリと目をやり、蒼くん
は再び歩き出す。
でも今度は、私を気づかって。
ちゃんと歩幅を合わせてくれて。
(……あぁ。もっと、一緒に歩きたいのに……)
残りわずか5、6分の道のり。
あの角を曲がれば、すぐに我が家。
それが寂しくて。物足りなくて――。
気がつくと私は蒼くんの左手にしがみつく
みたいに、自分の両手を伸ばしていた。
手を繋ぐ。
そんな可愛い行動じゃない。
子供が抱っこを求めて、ママの手に力いっ
ぱい捕まる時のように。
切ないくらいに、ただギュッて……。
「……?」
突然の出来事にかなり驚いたのか、蒼くん
は短く声をあげて、一瞬手を強ばらせた。
怖くて顔は見れない。
でもこの温もりを離したくなくて、必死で
言い訳を考える。
「……あ……まだ体調悪そうだなって。ほら、
蒼くんさっき、『気』がどうのって言ってた
から……。もしかしたら私の力で、良くなっ
たりするのかな……なんて…………」
こんな冴えない言葉しか出てこなかったん
だけど――。
「サンキュー」
彼は低い声で囁き、私の両手からスルリと
手を抜いた。
「でもこれじゃ、歩きにくい」
「……あ……」
彼の感触が消えた指先が冷たくて、思わず
声がうわずる。
恥ずかしい……。
でも次の瞬間、蒼くんは再び腕を伸ばし、
私の右手をそっと握ってくれた。
大きな掌に、軽く力をこめて。でも、優し
く包み込むようにして。
「……そう……くん……」
「の言葉に甘える。少しだけ、こうしてて
もらってもイイか?」
「う……うん!」
嬉しくて元気よく返事をすると、彼はフッ
と口角をあげて、再びゆっくりと歩き出した。
「天海に見られたら、殴られるかもな……」
そんなことをボソッと呟いた気がしたけど、
ドキドキでいっぱいの私には突っ込む余裕な
んてない。
ちょっとゴツゴツした蒼くんの手の感触に、
すべてが集中してしまって……。
(これじゃ、どっちが癒されてるのか分から
ないね……)
胸に広がる熱い想いを確かめながら、繋が
れた右手に視線を注ぐ。
この甘い時が少しでも長く続きますように
と、神様にお祈りしながら……。
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