◆    9.熱視線



   


『待機』と呼ばれるエリアの椅子に、なだれ

込むように座って――。



 私は自分の目を疑った。



 黒いスーツにボルドーのネクタイがビシッ

と決まった、長身の男の子。

 フロアーを颯爽と歩き、周囲に涼しげな視

線を送るその凛とした横顔に、大いに見覚え

がある。



(蒼くん!?)


 間違えるはずもなかった。

 でもフォーマルな格好が見慣れなくて、何

度も瞬きをして確認する。




 彼は床に片膝をついた姿勢で丁寧にお辞儀

をし、客席の灰皿を交換していた。

 そして立ち上がり、いったん奥へ消えると

……。

 カクテルとフルーツを手に再び現れ、次の

テーブルで短い挨拶を交わす。

 そしてまた忙しそうに別の席へ歩み寄り、

今度は空いたグラスを下げて……。



(……えっと……コレって、まさか……)



「ねー、あのボーイ。レベル高くない?」


 待機していたキャストの一部から、そんな

黄色い声が上がった。



(やっぱり……そうだよねぇ!?)


 トレンチを片手に慌しく店内を巡っている

蒼くんは、誰が見ても『バンビーナ』のボー

イだ。

 ココにいるのが場違いな透き通ったオーラ

を放ちながらも、ソツなく仕事をこなす蒼く

んはイイ意味でかなり目立っている。





 少ししてマネージャーに何かを指示された

蒼くんは、クールな表情のまま『待機』エリ

アへゆっくりと歩み寄ってきた。

 目に入ってないはずはナイなのに私のコト

は完全に素通りで、他のキャストさんにスッ

と頭を下げる。



「……アリエルさん。11番テーブルのヘル

プをお願いします」



「ジャスミンさん……。あちらのお客様より、

指名を頂きました。2番へご一緒して下さい」



「ベルさん、場内入りました。13卓、髭を

生やした男性の隣です――」




 キャストを上手くはかせて、フロアーを回

すコト。

 これが戦略のウチだと気づいたのは、『待

機』に残ったのが私1人になってからだった。



 時刻は10時10分。

 やっと蒼くんが目を合わせてくれる。



「――大丈夫か、」



(うわぁ。やっぱ、カッコイイ……)


   


 間近で見たスーツ姿の蒼くんは、いつもよ

りずっと大人っぽくて。

 私はつい、口半開きで見蕩れてしまう。



 基本的に女の子は、男の人のスーツに弱い!

 というのは、私の持論だけど……。


 でも大好きな人がバッチリ着こなして現れ

たら、誰でも夢心地になるんじゃないだろう

か。



「オイ。っ」


 凝視してるものの応答のナイ私にイラだっ

たのか、蒼くんは1度めよりも荒く呼びかけ

た。


「……あ、うん?」


「ウンじゃねーよ。大丈夫かって聞いてんだ」


「えっと……何が?」


 想定外の返答だったのか、一瞬面食らった

顔をして――。


「何が、って。……ほら。こんな場所で、何

かスゴイ格好させられてるし」


 と、むき出しの私の肩にチラリと視線を投

げ、落ち着きなく髪をかきあげる。


(あ……)


 硬派な彼らしいその反応に、やっと真意を

理解する。


 冬なのにキャミで。

 演技と言えどもキャバ嬢で。


 そんな私を『天力者の姫』としてじゃなく、

女の子として心配してくれてるんだ……。



「だ、大丈夫だよ。まだしーちゃんのお席に

しかついてないの。私のバイト時間ピッタリ

に来て、指名なんてしてくれちゃったもんだ

から……」 


 嬉しくて、声が震えた。


 でもそれを『不安』ととったのか、蒼くん

はいつも以上に優しい目をする。


「悪いな。必ず、一発で浄化するしとめるから」


 そしてすぐさま客席に視線を移し、フッと

力の抜けた笑みをこぼした。



「そういうワケか……」


「え?」


「悪目立ちするからって、自分は外を見張る

とか言っときながら。急に店内乗り込んでき

たりして」


「? ……蒼くん?」


「天海はいつも、お前のこと考えてんだな」


 あまりにも真面目な顔で言うもんだから、

私は思わず吹き出してしまう。


   

「だって、それは役目だから」


「……役目、ね」


「しーちゃにはいっつも、面倒くさい! っ

て言われてるよ」


「……」


 本当のコトを口にしたのに、彼はそれを軽

く受け流して苦笑いした。

 そして少しの沈黙の後、「あ」と小さく声

をたてる。




「忘れるとこだった。コレ、身に付けとけ」


 そう言って上着の右ポケットからとりだし

たのは、銀色の華奢なネックレスだった。

 ヘッドに紫の蝶がついた可愛らしいデザイ

ンは、まさに私好みの一品。



「えぇ。何!? もしかして、蒼くんからの

ご褒美?」


 ドキドキした気持ちで両手を広げるが――。


 一呼吸おいて、ガッカリする答えが返って

くる。



「いや、盗聴器だ。コレで妖力者とお前の会

話をひろう」


 蒼くんは自分の左耳にはめこんであるイヤ

ホンらしきものを指差しながら、シャラッと

ペンダントを私のてのひらに落とした。



「……あ……何だぁ……」



(ううっ。蒼くんがそういうコトしなそうだ

って分かってるのに。私ってば、何て浅はか

な期待を…………)


 自分勝手に盛り上げたテンションが、あっ

という間に急降下して。思った以上のダメー

ジを受ける。



「悪かったな、気が利かなくて。でもそーい

うのは天海の得意分野だろ? 何ちゃらのワ

ンピがどーのって、俺には真似できない」



 うん、分かってるよ。

 そんなの別に、望んでない。


 でもせっかくだから、甘えたいな。



 恩を売る、とか。

 交換条件、とか。


 そんなことはしたくないけど。






 このチャンス、恋に活かしてもイイよね…

…?





 膝の上でギュッと両拳を握りながら、私は

覚悟を決めて蒼くんを見つめた。




「『おとり作戦』、本気で頑張るからさ。ち

ゃんと役に立てて、この件が片づいたら。蒼

くんも、ご褒美をくれない?」



 余裕をもって、笑顔でカワイク言うつもり

だったのに……。

 予想以上の緊張が、思いっきり顔を強ばら

せた。



「……あ……いや、だからホント悪い」


 あまりにも必死な私を今度は軽くあしらえ

なかったのか、困ったように口をまごつかせ

る。


「礼はしたいと思ってる。けど、女が喜びそ

うなモノとか、本当に知らねーし……」


「プレゼントなんていらないよ。そうじゃな

くて、そういうんじゃなくて……」


「? ……?」



 ええい!!



「私と、デートしてくれない?」




「!?」

 


 
 これだけハッキリと言えば、聞こえなかっ

たなんてオチはない。

 返事をうやむやにだってし辛いはず。



 そう考えて、絶対に視線を逸らさなかった

のに――。



   


 神様はイジワルにも、『10時15分』に

時計の針を進めたんだ。



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