◇     3.媚薬   〜 蒼 〜  




 門限が……とか、理解者ぶって閉幕を切りだしたのは俺の方なのに。
 いざその時がくると、自分でも驚くほどに往生際が悪かった。
 コスモワールドの観覧車前。
 恋人たちで賑わう大型イルミネーションに、後ろ髪ひかれる思いでゆっくりと乗り込む。



「足元、気をつけろよ」

「うん」


 さり気なくの腰を抱き、向かい側に座らせた。


「私ね、夜の観覧車なんて初めて」


 ……意外だな。
 天海だったらこういう所、しっかり押さえてそうなもんなのに。


「何かドキドキするね」


 風で揺れるワゴンが怖いのか手摺にしっかりと指をかけ、それでも目をキラキラ輝かせて外を覗き込む。 
 無邪気に笑う横顔を、いつまでもそばで見ていられれば……と、らしくもなく願う。


 ドキドキするのは、俺の方だ。


   





 とのデートは想像以上に楽しかった。
 何を見ても笑えて。どこにいても会話は尽きなくて。
 『宗家の姫』と『天力者』なんていう繋がりも忘れて、俺は素直にただの男に成り下がる。
 けど同時にそろそろ終わりにしなきゃならねーと、常に焦らされ続けていたんだ。
 早く天海に返さねーと、本気で手放せなくなる。確信に近い、予感だった。



 は山下公園から少しだけ、口数が減ったように思う。
「まだ遊び足りない!」と可愛い我がままで困らせるコイツに、俺は何て言ってやれば良かったんだろうか。

 次の約束なんて出来ねーだろ?
 これ以上、好きになってどうする?
 だから笑うしかなかった。




 観覧車は穏やかに、ゆったりとした時を奏でながら上昇していく。
 世界最大級の直径を誇る、『コスモクロック21』。
 15分と記された乗車時間を「物足りない」と感じたのは、間違いなく今日が初めてだ。
 
 地面が遠ざかって、歩く人々を認識できない高さにまできた。
 みなとみらい地区の華やかな光を瞳に映し、は「クリスマスはもっと綺麗なんだろうなぁ」と静かに呟く。


「クリスマスか……。そう言えばそんな時期だな」


 すっかり忘れてた。というか毎年特別感なんてさほど無くて、実はいまいちピンとこない。
 つき合ってるヤツもいない今年は、なおさら意味のないイベントになりそうだ。


「好きそうだよな、お前は」

 ツリーとケーキとプレゼントに一喜一憂する姿が容易に想像できて、軽く笑いがこみ上げる。


「もちろんだよ〜。イヴは女の子にとって、大切な日なんだから」



 ああ。きっと毎年、そんなふうに幸せな顔で過ごしてるんだろうな。
 何てことない1日に、綺麗なものを目一杯つめこんで。
 と一緒なら、たぶん飽きることはない。


「…………」


 だから横にいるのは、いつも同じヤツで……。





「……天海と。今年はもう、予定たてたのか?」


 何気なく話をふってみた。
 普段はこんな野暮なことを訊いたりはしないけど。つい、雰囲気にのまれて。
 でもは相変わらずの天然ぶりで、キョトンとした目をこちらに向ける。


「ふぇ? 何の?」


 この流れでソレはねーだろ――と突っ込みたいのを我慢して、俺はこめかみをポリポリと引っ掻く。



「いや……ほら。クリスマスイヴの……」

「えぇ? 私、しーちゃんとイヴを過ごしたことなんて今まで1度もないよぉ」

「は?」


 予想外の台詞に、まともに面食らってしまった。
 思わず声が上ずる。



「……何で……?」

「何でって……。イヴは恋人同士で過ごすものだもん。しーちゃんと一緒したって、虚しいだけじゃない」

「虚しいって……。だってお前ら、何だかんだ言ったってそういう関係で……」

「ええ!? 私としーちゃんが!? 違うよ〜! 絶対ナイ! 家族みたいなものだもの」


 両手を胸の前で大きく横にふり、「そりゃ、プレゼントは毎年もらってるけど」と呟いた後。


「だってしーちゃん、彼女いるよ。お泊りしたいから、その日は厄介ごと持ちこむな――とか、いつも念押されるし……」

 などと、天海との関係を全否定する。



(……何だそれ……)


 グルグルと巡っていたものが突然『無』になり、ただ頭がぼーっとした。
 付き合ってはいない、確かに聞いてはいたけど。
 それは幼なじみの2人の戯れ言ざれごとで、本当は繋がっているんだとばかり思っていた。
 何だかんだ言ってもお互いが一番で、他の男が入りこむ余地なんてないんだと。



 天海には別に女がいる。
 それをは冷静に口にできる。
 本当に……?







「わぁ……蒼くん。気づいたらベイブリッヂがよく見えるよ。港の灯りがキレイ〜」


 頂上に差しかかる直前。
 しばらく思考が停止していた俺の頭を目覚めさせたのは、明るく無邪気な声だった。
 上半身をひねって自分の背後に広がる海を指差しながら、は交互に振り返り笑顔を見せる。

 長い髪がふわりと揺れて、胸元のあたりで踊るように跳ねた。
 表情のクルクル変わる端整な横顔に光が反射して、長いまつ毛が影を落とす。



 決して手に入ることはないと思っていたの心。
 今、誰のものでもないのなら、近づくことが許される?




「となり……来るか?」

 恥ずかしげもなく右手を差しのべ、真っ直ぐにを見つめた。


「うん」

 は少しはにかんで。でも躊躇うことなく、俺の腕につかまってきたように思う。


 空に最も近い地点を、俺たちは小さく触れ合いながらゆっくりと越えた――。




 風に煽られ、ガタガタと音をたてる車内。
 揺られる小柄な身体を慎重に支えて、ガラス細工を扱うみたいに隣に座らせる。


「……あ……橋。こっちの方がよく見えるだろ?」


 テレくさくて。
 気まずくて。
 そんな言葉を、そばに引き寄せた理由づけとした。
 でもからの返答はない。
 それどころかせっかくの夜景には目もくれず、ただ俯いて体を固める。
 顔は髪で隠れ、表情を伺い知ることはできなかった。



 ……?


 
 不安で、声にならない。
 お前は今、何を考えてるんだろうか。
 後頭部を黙って見下ろし、どうにもならない気持ちでただ時を待つ。




「……蒼くん」

 そのままの姿勢を崩さずに、は小さく肩を震わせた。


「クリスマスイヴ……私と過ごして…………」




「!?」


 一瞬、自分の耳を疑った。
 何を言われているのか分からない。
 だってイヴは特別なんだろ? 惰性で、天海とだって過ごせないくらい……。


 顔が見たかった。がどんなカオでそんな台詞を呟いているのか。
 知りたくて、知りたくて。
 衝動的に左手を伸ばす。
 


   



 強引に上を向かせると、は今にも泣きそうな表情で俺を見つめた。
 頬を赤らめ、目を潤ませ。濡れた唇を力なく動かす。



「蒼くん……」


 ただすがるように、俺の名を呼んだ。



「蒼くんっ……」


 2度目は甘く。何かを求めるみたいに。







 ヤバイ……だろ。
 その瞳と声は、もはや媚薬だ。




 理性を保つ間も与えられず、花を欲する蝶のように惹きよせられて――。













 深く重ねた唇から伝わる、の体温。  愛しくて、切なくて…………。  こっちの方が、泣きたかった。      
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