東門をくぐってすぐ脇にある、古い木造建
築が家の道場。
一歩足をふみいれた時の、あの噎せるよう
な埃っぽさと汗臭さが、私は死ぬほどキライ
だった。
嗅覚を刺激されて思い出すのは、小学生時
代の辛い記憶。
やりたくもない柔術や居合術を、師範だっ
たお父さんに無理やり叩きこまれた。
怖くて。痛くて。逃げたくて……。
仮病をつかっては、しーちゃんのお家によ
く逃げ込んだりしてたっけ。
そして去年、お父さんは一線を退いた。
うちの執事――師範代の柏原が、代わりに
ココに立つことが決まってから、私が道着に
袖を通すことはない。
完全なトラウマ。
ネイルを伸ばしてキラキラにすることで、
毎日せいいっぱいの抵抗をしてるの。
もう2度と、この手を傷つけたくありませ
ん! って。
「あれ? 珍しいんじゃない? がこん
なとこに来るなんて」
だから私に気づくと、しーちゃんはちょっ
とビックリした顔をしていた。
自主稽古が終わった直後だったのかな?
火照った身体を冷ますみたいに、黒いシャ
ツを前ボタン全開でひっかけただけの格好。
胸をはだけさせたちょっとセクシーなその
姿は、普通の女の子だったら「きゃぁ〜!!」
なんて叫ぶとこなんでしょうけど。子供の頃
から見慣れてる私には、どうってことナイ。
「着替え中なんだけど」
使っていた日本刀を鞘に戻して、わざと意
地悪く口角をあげる。
ちなみに。
ウチに通う道場生で、八純以外に本物の刀
を扱えるのはしーちゃんくらい。
センスは生まれつきだけど、それ以上の努
力で段位を手に入れたのを、私は見てきた。
だから。
「今さらだよー」
冗談めかして返しながら、気にせずに歩み
寄る。
しーちゃんは「それも、そっか」って小さ
く呟いて、なぜか笑顔でデコピンをした。
「お帰り、。久しぶりだよね。ふ〜ん。
けっこうサマになってるじゃん、OL服」
普段着ることの少ない、シンプルなスカー
トとひらひらブラウス。これは潜入にそなえ
て、しーちゃんが用意しれくれたものだった。
そういえば今週会うのは、初めてだったか
も。
大学とスタジオの往復で、しばらくウチに
は顔出せないってメールがきていた。
「奈良橋まつ子の件、初日から進展ないんだ
って?」
「お父さんから聞いたの?」
「いや。蒼から、ちょこちょこ」
蒼くんの名前が出て、必要以上に反応して
しまう。
「、蒼には毎日報告入れてるんでしょ?
僕には淡白なメール1通だけだったくせに」
「だ、だって! しーちゃん忙しそうだった
し。何かあったら代わりに蒼くんをすぐ頼れ
って、言ってたから!」
「? 間違ってないけどさぁ。……何、ムキ
になってんの?」
「べつに、なってないよ〜」
うわっ、危険!
この程度の会話で普通に返せなかったら、
勘の鋭いしーちゃんに一発でバレちゃう!
私は見えないところで、フゥっと息を整え
た。
「ねぇ、それより。お父さんが言ってたお見
合いの相手、誰とか分かった?」
気持ちを切り替えて、本題に入る。
行動力のあるしーちゃんのこと。
きっと何か情報をもってきてくれたに違い
ない! って、大きく期待したのに……。
「うーん、まだ。っていうか超多忙で、そっ
ちまで手が回んない」
外していたオメガを左手に通しながら、し
れっと答える。
「なっ……。もう来週なんだよ? どーにか
してくれるって言ったじゃないっ」
しーちゃんだけが頼りなのに。
そんなのん気にしてないでよ〜。
「大丈夫だよ。ギリギリでも手はあるし。
の相手にって、おじ様が選びそうなヤツ
なんて限られてるんだからさ」
諭すように優しく頭を撫でてくれるけど、
そんなんじゃ全然、落ちつかない。
「他人事だと思って……。突然、有無を言わ
さずお見合いさせられる私の気持ちなんて、
しーちゃん分からないんだよ! ホントに困
ってるんだから!」
「…………とつぜん、ね」
しーちゃんはあからさまにイラッとした様
子で、こちらを厳しく見据えた。
「じゃあ、訊くけど。好きな相手と結婚でき
るとでも思ってた? 子孫を残すのが役目な
のに、その遺伝子はどーでもイイって?」
「!?」
「分かってないのは、の方でしょ。千年
に一度と騒がれてる女性天子が、一体どんな
能力をもった子供を産むのか――。おじ様じ
ゃなくったって興味あるよ」
「しーちゃん……」
だって、『家の長女』っていう肩書きの
重さとか。天力を受けついだことの、貴重性
とか。
自覚しないで過ごせるくらい、しーちゃん
は今まで自由にさせてくれてたじゃない。
妖力浄化に無関心でも。
武道の稽古をサボっても。
お小言程度で、サラリと流してくれてた。
「言っとくけど。こういう日が来ること、僕
はもうずっと前から覚悟してた」
……どういう意味?
表情を曇らせたしーちゃんの気持ちが見え
なくて、思わず俯く。
宗家に女の子が生まれると、1人に1人つ
けられるのが守護役。
お母さんのお腹にいる時から、私のナイト
はしーちゃんに決まっていたという。
一族のしきたり。
そう教えられてきたから、当然のことだと
思っていたけど……。
「ん……ゴメンね」
優しさに胡坐をかいてた?
多忙なしーちゃんを拘束しているのは、何
より私自身なんだって気づいて、軽くヘコん
だ。
「私、頼りすぎてるよね……」
「やめてよ。らしくないって」
しーちゃんは私の頭をポンポンと軽くたた
いて、自分の肩へと引きよせる。
愛用のサンダルウッドが香って、いつもの
場所に立っていることを安心できた。
幼なじみで。お兄ちゃんで。19年間そば
にいてくれた人。
お互いにとって、家族みたいな存在。
温もりを肌で感じるこの距離は自然で、意
味なんて何一つないのに……。
さっきまでの蒼くんとの甘い時間を思い出
した私は、ハッとしてしーちゃんから身体を
離す。
「……何? いきなり」
不思議そうに見下ろすしーちゃん。
ヤバイ。
不自然な行動1つで、何もかもを見透かす
相手だった。
「べ、べつに……」
でもね。
何かすごく、悪いことのような気がしたの。
蒼くんの鼓動を耳に残して、しーちゃんの
匂いを感じるのが――。
「あの……私、そろそろ部屋に戻るね。ほら、
明日も早いし」
両手を胸の前で小さく振って、逃げるよう
にそこから立ち去る。
今日はこれ以上、真っ直ぐに目を合わせら
れない。
しーちゃんに秘密を作ることが、こんなに
後ろめたいなんて…………。
知らなかった、よ。
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