無駄のない靴音と、白檀の香り。

 伸びてくる影がしーちゃんのものであるこ

とに、きっと蒼くんもすぐに気付いた。

 私たちは温もりをゆっくりと手放し、恐る

恐る視線を上げる。



 バレちゃった……。

 驚きと焦りで脳内がミキサー状態の私とは

裏腹に、しーちゃんは顔色ひとつ変えずコチ

ラを見据える。



「言っとくけど、たまたまじゃないから」



 サラリとかきあげた前髪の隙間からのぞく

瞳が、アイスバーンのように冷たかった。



「2人の関係が妙だって、柏原に忠告を受け

てさ。待ってたんだ。まあ決定的シーンを目

撃することになるとは、思ってもみなかった

けどね」



 怒ってるのは一目瞭然。

 ヤバイ ヤバイ やばいーーーーっ。

 思わずゴクリと息をのむ。



「いったい、いつからそんなコトになってた

わけ?」



 長い腕をもてあますみたいに胸の前で組み、

しーちゃんは距離をとったまま斜めに構えた。



「世間知らずで男に免疫のないが、熱に

浮かされるのは想定内だけど。蒼まで乗っか

る必要なくない? もっと賢い判断ができる

ヤツだと思ってた」



 ご機嫌、最高にワルイ。

 私はともかく、蒼くんにまであからさまな

怒りをぶつけるなんて、きっと初めてだ。

 笑って言い訳できる状況じゃないって悟り、

蒼くんは慌てて私の前に立つ。



「天海! 俺が……」



「お守り役を押しつけられる、僕の立場も少

しは考えろよ。寝耳に水じゃ許されないコト

くらい、蒼にだって分かるでしょ」



「黙ってた事は謝る。すぐにお前に報告する

べきだった。でも俺は本気で……」



「五月蠅うるさいよ。今更いらない」



「!!」



 必死に誠意を伝えようとする彼を、しーち

ゃんは感情のない声と瞳で一蹴した。

 普段オブラートに包んでいても、やっぱり

古武術の有段者。本気で凄まれたら、足がす

くむのは仕方ないことなの。



 しーちゃんはゆっくり私に近づくと、苛立

ちを逃がすようにいったん息をついた。

 整った顔立ちに月明かりが深い影を落とす。

 まるで出来すぎた彫刻のよう。



「――で。はどうしたいわけ?」



 弁明のチャンスを与えられて、私は迷わず

言葉を選んだ。



「あのね、お願い。蒼くんとのこと、お父さ

んには黙ってて欲しいの」

   



 数秒後。

 クッと乾いた笑いをもらしたしーちゃんは、

妖力者に向けるみたいな冷淡な目をした。



「へー。開口一番が、ソレ?」



 思わずビクッと肩が跳ねる。



「20年近くもだけを見てきた僕を、ず

いぶんバカにした発言じゃない?」



「…………」



 バカになんて、そんなつもりあるわけない。

 何でここまでキツイ目するの?



「何よぉ。怒るとこじゃナイでしょ」



 しーちゃんの心の中も、こんな態度をとら

れる理由も見えなくて。納得いかないから、

ついムキになってしまう。



「はあ? 怒る、僕が? 呆れてるの間違い

でしょ」



「じゃあ、恐い顔ヤメテよ。しーちゃんに相

談なしで付き合ったこと、蒼くんはずっと気

にしてるんだから」



「別に。2人がどうなろうと僕が口出すこと

じゃないし、同意も必要ない」



「だったら何で……」



 必死に食い下がる私をメンドクサそうに

振り払い、しーちゃんは更に声を尖らせた。



「ただ、こんな時に――。僕に裏で働かせて

おいて、自分だけ美味しい思いしてるが、

心底ムカツクだけ」



「!」



 お見合いのことを言われてるんだって、す

ぐに気づいた。

 フォローしなきゃって焦るけど、それを待

ってくれず、しーちゃんは厭味たっぷりに次

の言葉を投げつけてくる。



「あ〜、そうだよね。お姫さまだっけ」



 冷笑的な口調にカチンときた。

 で、うっかり口を滑らせてしまう。



「もうイイ! 頼らないっ! 守護役だから

って、いっつも子供扱いばかりして。私には

今、蒼くんがいるんだからっ」



「!……」



「2人でどうにかしてみせる! しーちゃん

の手なんてもう必要ないの!!」



「……。あ、そう」



 感情を雑にぶちまけた私を、しーちゃんは

短い言葉で突き放した。

 そして左手で私の顎先をつかみ、グイッと

顔を近づけて睨みつける。



「じゃあ見せてみてよ。僕ナシで、がど

こまで自由に生きられるか」



「っ……」



 捨て台詞をはいて背中をむけたしーちゃん

は、そのまま振り返ることなく家を後にし

た。






「痛い……。しーちゃんってば乱暴なんだか

ら。ねー?」

   


 気に病むに値しないと笑って視線を上げた

私を、蒼くんは憂いをおびた顔でギュッと包

み込む。
 
 

「、大丈夫か? ゴメン。俺がしっかりし

なきゃなんねーのに……」



 申し訳なさそうに、悔しそうに唇をかんで

る姿が想像できた。

 私よりも、遠回しに責められた蒼くんの方

が受けたダメージは大きいかもしれない。



 ヤダ……そんなカオしないで。この温かい

胸があれば私は大丈夫。

 ほら、ぜんぜん恐くなんてないんだから。


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