◇第四章  1.ロードオブザリング   〜 紫己 〜  


 と蒼がつき合ってることにさえ気づけなかった、お見合いカウントダウン7日の土曜日。
 各方面での清算をぶじに済ませた僕が家の門をくぐったのは、22時を回った頃だったと思う。





「――を。僕に頂けないでしょうか?」


 案内されたいつもの客間で、いつもより背筋を伸ばして正座。
 底冷えする寒さに耐えながら精いっぱいの落ちつきを見せた僕に、おじ様は上座から視線を投げて、ただ嘲笑した。


「紫己。お前にしては、面白い挨拶だな」


 アポなしで謁見を求めてきたからには、『鏡』や『祟峻』に関する手土産があって然り――。
 たぶんそれくらいには考えてたでしょ。
 君主の期待をあっさりと裏切る家臣の唐突な申し入れは、暖まりの悪い20畳の和室に更なる冷気を送りこんだ。
 凍てつくような『彩りの間』に、アンドロイドな執事と3人。
 妙にアウェイな空気が広がる。


「もっと……オモシロイ話にできれば良かったんですけどね。申し訳ありません。20年間見守り続けてきた『女性天子』という
 希少価値の高い存在を、手放すのが惜しくなりました」


 両膝をついたまま座布団を降り、畳に手を揃えた姿勢でもう一度深く頭を下げた。
 数分後。いや、きっと数秒後。
 おじ様はいつも以上に眼光を強めて、ちょっとパフォーマンス染みたかなっていう僕の要求を、見透かしたみたいに厳しく撥ね付ける。


「今更だな。事は順調に進んでいる。早乙女先方も乗り気だ。最早、お前の気紛れでどうにかなる問題ではない」


(気まぐれ……ね)


 思わず苦笑い。
 まあ、そう言われても仕方ないんだけどさ。

 の守護役に3歳で任命されてから、僕にとって『帰る場所』の半分はこの家だった。
 海外を飛びまわる自由奔放な母さんと、天力とは無縁の環境にいた父さん。あ、もちろんデキ婚。
 そんな2人から生まれながら、天海家の血統を色濃く受け継いだ僕に、おじ様は特別に目をかけてくれてたと思う。
 や八純とほぼ並んで、天力者の云々を叩きこまれた。
 どこで何を学ぶか、どのタイミングで休息をとるか。
 同じ食卓を囲みながら、褒めて叱ってくれたのはおじ様だった。

 今考えれば、試されていたんだよね。
 のパートナーとして、家の血筋を残すに相応しいかどうか。
 チャンスを与えられていたんだと思う。
 それをのらりくらりと曖昧に交わした。
 窮屈な現実に捕まるのがウザくて。 



「話はそれだけか? ならもう下がれ。くだらん思い付きに時間を割かず、任務遂行に精進せよ」


 そう吐き捨てたおじ様は袴の裾をはたいて、早々と場を閉じようとした。
 僕は毅然とした態度で食い下がってみせる。


「いいえ。早乙女には譲れません」
「……何?」
「は僕が――天海家がもらい受けます」
「…………」


 『天海』の家名に瞳の奥で反応して、おじ様は浮かしかけた腰を再び落とした。
 宗家の片腕となって支えてきた、先祖代々からの深い繋がり。ウチを無下にはできないはず。
 僕はつかさず『最後の切り札』を差し出す。


「母からです」
「……蘭子から?」


 それは白い封筒に入った1通の手紙だった。
 実は僕も何が書かれているのかは知らない。
 ただこんな状況になった時に使うようにって、わざわざリールから送ってくれたんだけど……。
 それだけの価値は持っていたのかもしれない。
 うすい便箋に書かれた、たぶん数行の内容を黙読し、おじ様は珍しく『してやられた』的な表情を見せた。
 眉間に皺をよせ、フゥーと大きなため息。
 そして信じられないくらい簡単に、言葉を翻す。


「了承した。……と、お前の母親に伝えろ」
「……え?」


 思わず「何を?」って聞き返しそうになった。
 どんなネタで、この鉄壁を打ち破ったっていうわけ?
 初めて母さんが神に思える。


「ただし結納金は資産の3分の1……いや半分だ。当然、早乙女側に払う慰謝料分も持ってもらう。
 そうだな。天海が取り仕切る、海東会系列病院の権利書分くらいは、誠意として宗家に納めよ」


 …………。快諾ってわけにはいかないか。
 まあ、それなりの要求があるのは覚悟してた。
 閨閥を阻止したうえに、天然記念物なお姫さまを頂こうっていうんだからさ。
 大金が動くのは止むを得ない。
 天海本家の嫡子である僕が、動かせない額じゃないけど……。


(でも、半分……ね)


 あ〜ホント、お母さんお父さんゴメンナサイ。ついでにお祖父ちゃんお祖母ちゃんも。
 ……っていうかココまで来たら、もう引き下がれないでしょ?


「分かりまし……」


 渇いた喉からしぼり出すように声を発すると、
「その件ですが――」と覆いかぶして、サイドで静観していた柏原がスッと僕の横に並ぶ。


「早乙女様に少々気になる点がございましたので、僭越ながら調べさせて頂きました。
 結果、早乙女家が有するグループ銀行の過半数に粉飾決算があり、昨年度は虚偽の黒字申告がされております。
 それゆえ天主が受けた資産報告も信憑性はなく、そこを突けば、慰謝料の支払いは回避できるものと考えます」


 家の有能すぎる執事はどこからともなくプリントアウトした資料をとり出し、おじ様に事細かく説明を始めた。
 そしてラスト、顔色一つ変えずにこうまとめる。

「従って差し引き、紫己様からのご頂戴は資産の4分の1が妥当かと――」


 うわぁ。マジで神降臨。
 そしてこの柏原のフォローが、八純の命令によるものだってことを、僕はクリスマス当日に知る。





 そうだよ。皮肉にも。
 僕がと蒼の関係を知ったのは、すべての歯車が動き始めてからだったんだ。
 たくさんの人の未来をも巻き込んで、計画は着々と進行している。
 もう0には戻れない。
 恋だの愛だの、カワイイことばっか言ってられないんだってば。



 イブの夜、は家に戻らなかったらしい。
 それを聞いた時点で、「へー。あぁ、そう」とかって、いろいろ理解したつもりだった。
 つき合い始めの男女がやるコトなんて決まってるでしょ?
 夢見がちなお姫さまのこと、最高の夜を過ごしたに違いないよね。

 分かってはいても――。
 ウェスティンホテル最上階のスイートで、掴んだ手を振り払われた時、地味に傷ついたんだ。
 他の男に触れられることを全身で拒否してるみたいなの姿を見て、『女』になったんだってイヤでも察する。

 もう1番じゃない。
 理由なく抱き寄せる権利は失った。
 それでもの横に立つのは僕の使命。
 誰から、何から守るかを決めるのも僕だ。
 例えそれが、生涯恨まれるコトになったとしても……ね。








 年末の買い物客で賑わう、午後の吉祥寺。
 サンロード内のファミレスで遅めのランチをとっていた八純を、僕はウインドー越しに確認した。


【 いろいろと報告にいきたいから。近々、時間作れない? 】


 そうメールを入れてみたのが一昨日の夜。
 学業と仕事、大学の生物学研究チームの助っ人。各界への挨拶まわりに、イベント参加……etc。
 30分つかまれば上出来! な、超多忙なスーパー高校生が、地元とはいえ待ち合わせ場所にココを指定したのは正直意外だった。
 目玉焼きハンバーグとか、エビフライとジューシーチキンとか……。
 そういう子供っぽいものがかなり不釣合いな17歳=次期天主。

「ゴメンね、八純はずみ。遅れた」
 片手を額の前にそえて、ふわりと向かいのソファーに腰を下ろす。
「あー、やっと来たな。こっちはもう、一通り終わったとこだよ」
 食後のコーヒーに口をつけていた八純は一呼吸おいて、柔らかく叱咤してみせてから、笑った。



「こんな風にしーちゃんと外で会うのは、ずいぶん久しぶりかな」

 ざわついた店内をむしろ楽しむみたいに、八純は周囲をクルリと見渡す。
 カチッとした濃緑のブレザーとえんじのネクタイ、グレーのチェックのパンツっていう秀麗院高校の制服姿。
 着崩してるわけでもないのにオシャレに見えるのは、一流高校のもつブランド力と、八純がかもし出す高貴な品のなせる業だと思う。


「そう言えば、そうかもね。2年ぶりくらい? っていうか今日は何で制服なわけ? もう冬休みじゃん」

 視線を前方に伸ばしたまま、僕はメニュー表をパラパラと捲った。
 今週は忘年会ピーク。食欲もないし胃も休めたくて、あったかいポタージュだけをオーダーする。
 八純は肩まである黒髪をサラリと揺らし、「登校日だった」と答えた。


「選挙管理委員、なんてものをやってる。午前にその集まりがあったから」
「げっ。何で八純がそんなメンドウ押しつけられるわけ?」
「別に押しつけられたわけじゃないよ。やりたがる人がクラスにいなかったから、立候補した」
「365日、キュウキュウなのに? どうしてわざわざ、自分を極限まで追い詰めるかなぁ。ある意味マゾだよね」
「ふふ。それを言うならしーちゃんだろ? 放り投げれば楽だったものを。リスク背負って、敢えて『いばらの森』に飛び込むんだから」
「…………」


(棘の森……ね)

 あー、ホントそんな感じかも。
 唯一の光は、このカリスマ性のある少年が、いずれ僕たちのトップに立つってことぐらいだ。
「……」
 組んでいた脚を戻し、僕は改まって八純に向きあう。

「この前はありがとね。早乙女の件……助かったよ。母さん達にはできるだけ迷惑かけたくなかったからさ」

 穏やかに目を細めて「お安い御用だ」と返し、八純はその後ちょっと含みのある笑みを浮かべる。

「オレで出来る事なら協力は惜しまないよ。だってしーちゃんは、これから本当の兄貴になるんだ。
 あ、もう呼び方の練習しておこうかな。『お義兄さん』って」


 ブッ。
 口に含んだ水を思わず吹き出しそうになった。
 うわ、何? ほじくる気満々!?
 その証拠に攻撃はさらに続く。


「それで見合いはどうだった? 姉さんにプロポーズしたんだろ?」


 プロポーズ……って。
 口にされるとやたら恥ずかしい。
 思わず苦笑いして、かぶっていた帽子のつばを無意識に左右に揺らす。


「そんな色っぽいもんじゃないよ。分かるでしょ? 今回のは守護としての苦肉の策ってトコで」
「でも、用意してたんだろ? ハリーウィンストン」
「……よく知ってるね。柏原か」
「で、どうだった? 姉さん喜んだ?」
「あのねぇ……。そんなワケないじゃん。その場で突き返されたよ。こんなの受けとれないって」
「あらら」
「まあ、そりゃそう来るよね。には蒼がいるんだしさ」


 微妙な空気の中、やっとカップスープが運ばれてくる。
 味とかどうでもいい感じにゴクンと喉に流しこみ、漏れそうになった溜め息をギリギリのところで押し込んだ。
 八純は無言でコーヒーに手を伸ばし、ソーサーをカチッと小さく鳴らす。
 
 僕の言葉に動じないこの様子からして、一通り把握してるんだろうなーって思った。
 と蒼がつき合ってるコト。すでに深い関係にあるコト。
 もしかしたら柏原のリークも、八純が仕向けた事かもしれない。
 住む世界の違う2人の行く末を案じて、早いうちに芽を摘ませようとした?
 おじ様ではなく、この僕に。


「しーちゃんがモタモタしてるから悪いんだ。さっさとヤッちゃえば良かったのに」
「……ヤッちゃえば、って……。もしもーし、八純くん?」
「だってそうだろ? 舞台は完全に整ってたんだし、既成事実を作るのが攻略の近道だった。なのにらしくもなく、
 バカ正直に護りに徹してるんだもんな。心も躰も奪うべきだったんだよ。それこそ姉さんが何も知らないうちに」


 真顔で淡々と、卑猥なことを言ってのける八純。
 恋愛経験値なら負けないはずの僕が、まるで童貞!? ってくらいシドロモドロになる。


「別に……さ。その気なんてないし」
「へー」

 八純はテーブルに頬杖をついたままニコッと白い歯を覗かせ、上目づかいに僕を見上げた。


「まだそんな事を言うのか」

     


 何もかもを見透かしたような漆黒の瞳。
 あー、ホント完敗。昔からこの子には、ちょっと敵わない。


「いちいち痛いんだよ。八純の言葉は……」

     







「仕事の話は、店外そとで聞こうか」

 隣りのテーブルから注がれる華やかな視線に気づいて、僕たちは店を後にした。
 少し遠回りになる公園通りをぶらぶらと歩きながら、この2週間の出来事を報告する。

 奈良橋まつ子さんに妖力の気配はたしかに感じる。
 でも妖力者との接触も、過去の痕跡も見当たらない。
 祟峻の影さえも未だ踏めなくて、引き際も見つからない。……なんて、どんだけ薄っぺらい報告なんだろ。
 かなりバツが悪い。


「鏡は出てこないか……」


 八純は憂いをおびた表情で小さく呟いた。

「どうしてもこのタイミングで、取り戻したいと思ってるんだけどな」


 取り戻す――。
 もともと祟峻の所用物である鏡にそんな表現を使ったのは、別に八純の言い間違いってわけじゃない。
 8年前。ソレはたしかに家の宝物庫に並んでいたんだ。
 祟峻の剣と鏡。
 三種の神器のうち2つを、回収済みだった時代があった。


「……アレってさ。八純はまだ小学生だったよね」


 1人の幹部天力者が、宗家から鏡を持ち出すっていう事件が起きる。
 心の弱い部分を妖力で侵されたその人は、気づいた時には『レベル4』。天主自ら完全浄化。
 僕たち天力者は鏡と同時に、有能な仲間を失った。


「先日、七回忌だったんだ。その時に『桜木』の人達と話をしてきた。悲傷よりも、謝罪の気持ちの方が大きいのが気になって」
「…………」


 ああ、だから。『このタイミング』なわけね。
 妖人となって悲惨な最期を遂げた、桜木家の当主。正義感の強いおじさんだった。
 僕も八純も、あの時の悲しくもどかしい気持ちをよく覚えている。


「なー、しーちゃん。『天』と『妖』って本当は、紙一重のところにあるのかもな……」

 そう口にして瞳の色を曇らせた八純を、僕は「何言ってんの」と軽く小突く。


「残された桜木の人たちの自責の念を、少しでも軽くしたいんでしょ? 多忙な八純が自由に動けない分、僕が必ず鏡を持って帰るからさ」
「ふふ。相変わらず頼もしいな。さすが、『お義兄さん』だ」
「だからー。それはヤメテって……」
「あははっ」


 やっと見せた高校生らしい笑顔に、こっそりと心の中で誓った。
 一生『天力者』でいよう――って。
 妖力者排除と家の繁栄に、今本気で、生涯を捧げる覚悟ができた気がする。



 

「あ、そうだ。コレ、に渡しといてくれない?」


 別れ際。路地の入口で背を向けた直後。
 僕はふと思い出して、ここ何日か持ち歩いていた黒い小箱を八純に放り投げた。
 シルバーで HARRY WINSTON の文字が刻まれたそれには、突き返された例のエンゲージリングが入ってる。
 八純は両手で包み込むように受け取り、少しの間ジッと箱を見つめた。


「しーちゃん、いいのか? 婚約指輪って女性にとって大切なものだろ? オレが姉さんに渡せば、ただの引導だ。
 この指輪のもつ本来の甘い意味合いは、きっと消えてなくなる」


 分かってるって。
 一応、悩んでみたりもした。でも……。


「だからこそ、八純に頼みたい――」

 ザワッと冷たい風が通りぬける中、次期天主は「了解した」と口角をあげた。




(イイんだよ。これで)

 1人になって再び駅へと向かいながら、僕は言い聞かせるように右拳でドンッドンッと心臓を叩く。
 ただの騎士である以上、どうせ指輪の魔法は使えない。
 だったら涼しい顔して『そびえ立つ壁』になる方が、ずっと楽で確実でしょ?

 ねぇ、お姫さま。これが僕のやり方だよ。



              <<前へ     2話へ>>