蒼くんともっとずっと、くっついてたかった。
 絡めあう指先だけが温かくて、唯一の救いなの。


「姉さん?」

 ハッ。
 別れを惜しんでまどろんでいた自宅前。
 馴染みのある声が背中を突いて、私は反射的につない
でいた手を振り払う。


「は……ずみ」


 門をくぐって出てきた弟と、はち合わせてしまった。
 こういう可能性があるってコト、重々分かってたはず
なのに。ギリギリまで蒼くんと一緒にいたい! ってい
う恋心を、今日も優先してしまった。
 でも……さすがにヤバイ!?
 数秒前の、『恋人繋ぎに浮かれながら、甘ったるい声
を出していた自分』を客観的に思い返して、浅はかな言
動を心底悔やむ。
 お父さんに一番近いポジションのこの子に、怪しまれ
るわけにはいかないよー!!
 私はイヤな汗をかきながら、無理矢理な笑顔をつくる。


 八純はニコッと穏やかに笑んで、門前の石段をリズム
よく下りてきた。
 朝からひっきりなしに押し寄せた、お客さまのお相手
は終わったのかな?
 和装を脱いだ八純は、キレイ目だけどずいぶんラフな
格好をしてる。
 そのシャツの柄がはっきり分かるとこまで近づいてき
て、私と蒼くんは何となく、あと数十センチ自然に体を
離した。
 八純の視線が少し上に向いて、私を飛び越える。


「月島さん。明けましておめでとうございます。本年も
どうぞ宜しくお願い致します」

「あ……。いや、こっちこそ。よろしく……」


 丁寧に頭を下げられ、蒼くんはちょっと面食らった感
じで慌てて挨拶を返した。
 えっとぉ、この感じ。……セーフ?
 いつもと変わらない整った表情の弟を横目で観察して、
とりあえずホッと胸をなでおろす。
 けど少しして、八純は覗き込むように私をマジマジと
見つめ、ドキッとすることを口にした。


「元旦の湯島天神は、どうだった?」

「え!?」

「想像するに、鳥居から拝殿まで1時間以上、亀歩みっ
てところかな」

「な…………」


 何で知ってるのよ!? エスパー!?
 動揺を隠しきれずに、ただ口をパクパクさせて立ちつ
くしてしまった。
 私の落ち着きのなさに八純は最初キョトンとした顔を
返したけど、状況と心情を素早く読みとって「ああ」と
私のバッグを指先で弾く。
 見ると肩にかけていた小ぶりのファーバッグの口から、
破魔矢がピョンッと頭を出していたの。


(うわっ! きゃぁ〜! なんでぇ〜!!)


 普段だったら、こんなの絶対に買わないのに。
 蒼くんとの初詣に浮かれて、「記念♥」とかって、つい
手にとっちゃったんだ。
 当然のことながらデートサイズの鞄にはしまいきれな
くて、中途半端に羽先が『コンニチハ』してる。
 それもご丁寧に、太字で神社名が、ね。


「……っ」

 近所にだってお参りできるとこはあるんだ。なのにわ
ざわざ電車にのって、2人きりで初詣してきたなんて……。
「仕事の打ち合わせしてて、帰りにブラッと寄ったの」
 とかっていう、言い訳が通用しないじゃない。


「あの……コレはね……!」

 手足をバタバタさせながら、今さらながらに羽先を鞄
にギュウギュウ押し込んでみる。
 理由付けに困って俯いていると、八純は先回りして、
言葉の続きを予想して答えた。


「菅原道真に会いたかったのかな。姉さんのことだから、
後期試験で単位を落とさないように、最後の神頼みでも
してきたんだろ」

「……え? ……あ。うん、そうなの! こういうこと
は学問の神様が本場だもんね!」

「ふふ。まったく、らしいなあ。でもそのご利益はこの
時期、受験生に譲ってあげるものだよ」


 八純は品良く口角をあげると、あらたまって蒼くんに
向きなおす。


「月島さん、いつもすみせん。あなただってお忙しいの
に。元旦早々、プライベートまで家の人間の我がまま
につき合わせてしまって」


(あれ……?)

 言葉の端が、何となく胸にチクンと刺さった。
 いや、優しいんだけど。
 いつもみたいに柔和なんだけど。
 それが逆に『他人行儀』っぽいなんて、ちょっと考え
すぎかなぁ。
 冷たい北風がピューッと吹いて、私はコートの襟をた
てて寒さをしのいだ。

 冗談をはさむことも躊躇しちゃう、ぎこちない雰囲気
の中。蒼くんと八純は試験期間はいつまでとか、春休み
がどうとか、他愛もない会話を交わしてる。
 2人の立ち話がふと途切れた頃、八純はチラリと腕時
計に目をやった。
 わっ、チャンス!
 微妙な空気をこわしたい私はそれを見逃さず、急かす
ように弟の肩を叩く。


「ねぇ、ねぇ。もしかしてお出かけするとこだったんじ
ゃない? 急がなくていいの?」
   


「ああ。うん、そろそろ」

 八純はグッと背筋を伸ばした。


「お父さんに同行して、品川の大叔母様のところに挨拶
してくるよ」

「あ、そっか。お正月だもんね。大変だねー」

「他人事のように言うなよ。たまには顔を出してくれな
いと困る。出されたお茶菓子が、食べきれないんだ」

「あはっ。大歓迎してくれるもんね。また次、ね。……
あれ? ってことは車だから、正門に回るんじゃ……」

「うん。姉さんの声が聞こえた気がして、東門こっちを覗いた
んだ」


 そう言うと八純はこちらに両腕を伸ばし、ニコッと笑
んで私の右手を包むようにとった。


「これ、しーちゃんから渡すように頼まれてたんだ。大
切な物なのに忘れたの? 相変わらずそそっかしいな、
姉さんは」


 握らされたのは高級そうな黒いアクセサリーケース。
 反射的に開けると、ティアードロップ型の大きなダイ
ヤモンドが目に飛び込んでくる。

「!?」

 コレハナニ? なんて、聞くまでもない。
 あの日、一瞬だけ薬指にはめられたリング。
 家と天海家をつなぎ、私を縛るための、錠――。



「……」
「!!」


 蒼くんのくぐもった声に、私はハッとして勢いよく蓋
を閉じた。
 見られちゃっ……た?
 ヤダ……蒼くんの前で、こんなの……。
 すぐにでも手放したい。でも八純に投げ返すわけにも
いかなくて、隠すようにバッグの底に押し込んだ。
 どんな顔をしてればいいんだろう。
 分からなくて、黙ったまま視線も上げずに苦笑う。


「おめでとう、姉さん」


 予想もしていなかった言葉が、頭上に降りそそいだ。
 驚いて見上げると、八純が優しく瞳を細める。


「結婚なんて、まだ早いんじゃないかって。オレから見
ても子供っぽい姉さんを、心配もしてたけど。良かった。
しーちゃんだったら、安心して任せられる」

「!!」


 ヤメテよ。
 そんな話、今ここでしないで……。
 蒼くんの方が向けない。でも逃げる術もなくて。必然
的に、真っ直ぐに八純と向き合う。


「今回の仕事では、かなり無理をさせてるよな。祟峻の
鏡をどうしても回収したくて、『天子』の称号をもつ姉
さんの能力に皆が頼ってる。でも婚約が決まった今、こ
れ以上危険にさらすわけにはいかない。何かあったら、
しーちゃんに申し訳ないし」

 八純は指先を口もとにあて、考え込むようなポーズを
してから言葉をつづけた。


「うん、だから。今回の仕事、ここで外れてもいいよ」

「!? ……ヤ、ヤダ!!」
 

 ふりしぼるみたいな甲高い声が間髪入れずに飛びだし
て、自分でも少し驚いた。
 でもそんなコトされたら、蒼くんともっと会いづらく
なる。自然が、不自然になっちゃう。
 ちょっと前なら手放しで喜ぶとこだけど、『仕事』で
繋がることが今は絶対なの。


「あの……お願い。今回の仕事は、最後までやらせて。
狙われてる女の子とは友達で、どうしても自分で助けた
いの。ムリとかしないよ。だから……」
   

 奈良ちゃんを理由にするしか思いつかなかった。
 けど、そういう気持ちがあるのだって本当だもの。言
い訳を正当化してるわけじゃない。

「分かった」と八純は静かに頷いた。
 そしてスッと横を通りすぎ、斜め後ろにいた蒼くんの
前に立つ。


「無茶も多く、世話のかかる姉ですが。どうぞその間の
ガードを宜しくお願いします。天海家との婚約式は簡略
的にとりおこないますので、月島さんもご都合が合えば
ぜひ、ご参列ください」

「……っ」


 柔らかい微笑みを向けられて、蒼くんはただ絶句……
してたと思う。
 ……どうしよう。
 反論できない。謝りようもない。
 意志とは関係なく堕落していく私は、誠実なあなたの
目にどう映っているんだろう。

 私と蒼くんはかけ合う言葉が見つからないまま、何と
なく引き離されるような形で、その場で別れた。



 何で、こんなコトになっちゃうの?
 好きな人と、ただ一緒にいれればイイだけなのに。


 手の平に残された白金の輪を涙目で睨みつけながら、
あらためて強く心に誓う。
 とうぶん、しーちゃんとは会わない。話さない。
 とことん避けて、風化してやる――って。


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