◇     3.主義×主義=乾杯!   〜 紫己 〜  


 見覚えのない蝶のペンダントを、大事そうに胸もとに隠しておきながら。
『けっきょくしーちゃんにとって私は、ただ天力者の姫でしかないんだよね!?』  ――なんて。
 ねー。はどういうつもりで、こんな台詞を吐くわけ?
 僕に秘密事をつくって。
 勝手に恋をして、大人になって。
 都合よく使われた感が否めない中での生温い叫びに、久しぶりに本気で頭にきた。


 けど、僕も僕だよね。
『それ以上の何かを、望むわけ?』  ――なんて。
 まだ親離れできてない仔犬の躾にしては、ちょっと感情的になりすぎたかもしれない。
 どんな関係になったとしても、大切な存在であることに違いないよ。……って。
 どうして笑って、答えてあげられなかったんだろう。




 19年前。家宗主、待望の第一子が女の子だって分かった時。周囲から落胆の声が上がったのは想像できる。
 でもその後、『天力』を宿せる器だって判明して、その娘はみんなの希望に変わった。
 前例の少ない1000年に一度の女性天子。
 彼女は純血の天力者を誕生させられる、唯一の女神なんだって。

 妖力者からガードするのはもちろん。
 が穢れないように常に監視して、管理すること。
 それが小さい頃から天主より命じられた、守護としての仕事だった。
 『天力者の姫』っていう商品の価値が下がらないように、にまとわりつく男は片っ端から排除して、僕の腕の中だけに囲った。
 いつか手放す日が来るって、初めから分かってたんだ。
 でもそれは『家の長女』として、閨閥の図式に名を連ねる時であって……。
 このタイミングで僕の腕を抜け出すなんて、とんだ計算違い。


 ……ううん。違うか。
 勇気ある優しい王子様に、お姫さまが心奪われるのは、どの時代もどの世界でも同じコトだよね。
 が蒼に惹かれたのは必然なんだ。
 ただ僕が策に溺れたってだけで。


 蒼と自由に過ごせる時間なんて、きっと僅かしかない。
 春には婚約式。卒業と同時に神前式。
 今の感じだと、おじ様がその約束さえ守ってくれるかどうか……。
 だから『お兄ちゃん』としては、できる限りの思い出を与えてあげたいとか思う。
 蒼がイイ奴なのは間違いないし。
 あーいう分別のある男を選んだを、褒めてあげてもいいかなって。
 でも『守護』としては、ちょっとメンドウかな。
 お利口にしてくれてれば、もっと楽に片付いたのに。主と姫の板挟みで、プライベートまでよけいな気をつかう。


(あ……じゃあコレは、何だろう……)


 僕は左胸に手をあてて、奥にある薄暗い感情をわし掴んでみた。
 今までに持ちえたことのない、淀んだ意志。味わったことのない焦燥感。
 何でだろう。
 をめちゃくちゃに破壊したい――。









 見上げた18時の空は、赤紫色にグラデーションがかっていた。神秘的でキレイ。
 先月までは冬に向かってたはずなのに、もう春を目指してるなんて。
 季節の巡りの早さには、どうしてこう何度も驚かされるんだろう。


(うーー。でも、まだ寒いって!)


 新宿のビル風に体を震わせながら、僕は次のセール会場に入っていく奈良橋まつ子さんの背中を見送った。
 新年が明けてお目出度いからって、ターゲットのガードを休めるわけじゃない。
 お昼すぎから伊勢丹 → 丸井 → ルミネってショッピングを楽しんでいる彼女をアバウトに見守り続け、携帯灰皿もそろそろいっぱいになってきた。
 今のところ変わった様子はない。閉店時間から逆算しても、この高島屋が最後の戦場かなって思う。
 いや。ぜひそう願いたいよ。


(蒼と交代で、付いた方が良かったかな)


 チラリと弱音を吐いてみるけど、後の祭り。
「デート楽しんできなよ」なんてカッコつけちゃったからには、今さら呼び出すわけにもいかないでしょ。
 正面入口から20メートルほど離れたところにあるバーベンチにもたれかかって、僕は奈良橋さんが出てくるのをじっと待った。
 店内に入るとさすがに目立つから、襟元のファーをたてて帽子を目深にかぶり、凍える身体を軽くさする。
 1時間のガマン!
 そう覚悟してたのに、彼女は15分後ふらっと入口に舞い戻ってきた。
 ショ袋は増えてない。
 4件目だもんね。さすがに満足したのかな?
 組んでいた脚をほどいて再び後を追う態勢をつくった時、彼女の異変に気づいてハッと息をのむ。


(何だよ……コレ……。さっきまで、フツウだったのに……)


 目は虚ろ。意識を半分とばして。
 奈良橋さんは明らかに妖力に侵された状態で、僕の目の前に現れた。
 足元がふらついてる。
 自分の意志ではなく、誰かに歩かされてるような。そんな感じ。
 に聞いた初対面の状況とも、合コンの夜に僕が見た姿とも同じだと思った。


(何度も、何度も。どうしてこう繰り返すんだよ!?)


 弱い妖力だけど、たちが悪い。
 だってコレはまぎれもなく、彼女自身が生み出している。
 ズサッ。
 持っていた荷物が地面に擦れる音。
 でも膝がくずれ落ちる直前に正面に回りこみ、その身体を支えることができた。抱き締めるみたいに全体重を胸で受け止める。
 突然立ち止まってハグしたような僕達に、好奇な視線を残して人波が左右にわれる。


「ねえ、もう少し。あっちまで歩けそう?」


 人形のように瞳に色をもたない彼女の耳元で、そっと囁いた。
 このままの格好で何事もなく浄化なんて芸当、僕にはできない。
 あれはのもつ治癒力のオーラなんだ。
 この程度の妖力を握りつぶすのはワケないけど、できるなら彼女のためにも人目はさけた方がいい。


「……んっ……」


 奈良橋さんは小さく声を発して、僕のコートにギュッとしがみついた。
 良かった。ちゃんと反応してる。


「うん、こっち。そう、ゆっくりでイイからね」


 腰に腕を回して誘導すると、よろめきながらも素直に従ってくれる。
 僕はホッと安堵の息をもらし、あらためて周囲を見渡した。


「!?」

 一瞬、頭上に強い妖気を感じた気がして、視線をあげる。
 けど、固体が気体に変化するみたいに、ソレはフッと夜の空気に溶けてなくなった。
 …………。
 確かに、何かを感じたのに。この僕が姿を見落とすなんて……。


(でも……今ので確信した)

 不謹慎にも嬉しくなって、唇の端をペロッと舐め上げる。
 彼女を狙っているのは雑魚じゃない。
 ようやく『鏡』に手が届くかもって。





 オフィスビルの谷間にある、憩いの場的な公園。
 ごろんとベンチに仰向けで寝かせて、膝枕して。僕は奈良橋さんの額に自分の手をそっと当てた。
 ――浄化。
 今できるのは、目に見える妖力だけを取り除くこと。
 根っこが分からない限り、また繰り返すんだろうけどね。
 とりあえずコレで、身体と精神の自由はとり戻せるはずだ。


「うん……っ……」
 少しして彼女は瞳に光を映した。
「あたし……何……やってるん?」
 途切れ途切れに唇を動かしながら、居場所を確かめるように視線を左右にのばす。


「覚えてる? 高島屋の前で倒れたんだよ。……貧血で」
「……」

 なぜ、あんたが? みたいなカオをされたから、警戒心を持たれないように頭上の中折帽をぬいだ。
 乱れた前髪を指先で散らしてから、柔らかく笑む。

「偶然ね、その場に居合わせたんだ。知ってる顔だったからさ。僕がココに連れてきた」
「…………」
「えっと、僕のこと覚えてる? 先月の合コンで……」
 そこまで言うと、奈良橋さんは急にガバッと上半身を飛び起こした。
「の……カレシやんなぁ……」


(ああ。そうなってんのか)

 まー、普通に考えればそれが自然。
 彼女の重みがなくなった脚を組みなおして、姿勢を正す。

「その節はどうも。がお世話になりました」

 営業用の笑顔を重ねてみた。これでゆっくり話ができるかなって思ったのに。
 奈良橋さんは頬をまっ赤に染めて「お世話になりました!」って叫んだかと思うと、僕の隣りから性急に離れようとする。


「え? なんで??」

 僕は咄嗟に腕をつかまえて、自分のもとに引き戻した。
 それに対しても、彼女は本気か冗談か分からない反応を返す。


「うわっ。そんなキラキラオーラ出して、顔近づけんといて! あたし美形に免疫ないんやから」
「え……? あ、でも、逃げないで……ね?」
「別に逃げへんって! 少し離れたほうがええって。オーラに負けたらあかんって思ったんよ」
「いや……ここは勝ち負けじゃないでしょ」

 つい、苦笑う。

「とりあえずもうちょっと休んでなよ。急に起きると危ないって。少ししたら家まで送ってくからさ」

 そう言って肩を支えようと腕をのばすと、奈良橋さんは急に真顔になって、「大丈夫やから」と両手の平をこちらに向かって突き出した。


「送り、とか。そーゆうのホンマええよ。いざとなったらタクシー拾うし。ってゆーかあたし、友達の男には世話にならない主義なんや」
「えっと……なんで?」
「ほら、女同士ってそーゆーのナイーブなんよ。どんな事情があってもを飛び越えて、そのカレシに甘えていいって話にはならへんの」
「……」


 『竹を割ったような』って、この娘みたいなのを言うんじゃないかって思った。
 ムダに媚びない。女を武器にしない。グレーゾーンのないはっきりとした性格。
 うん、とは正反対。


「ふーん。そんなもん? でも時と場合によっては、甘えてもイイと思うけど?」
 僕は自分の意見をのべた後、それでも強気な瞳を変えない彼女を見てクスッと笑みをこぼす。
「でも。奈良ちゃんのソレ、カッコいーね」
「! うわぁ。だからそーゆーのヤメやぁ」
「ん?」
「イケメン顔はの前と、『REAL』の中だけでえーって! こんな接近戦で、相手があたしやなかったら即死やで」
 テレ笑いながら手の甲でポンッと僕の肩をはたく。

 『REAL』……ああ。この娘、僕のコト知ってるんだ。
 で、この反応?
「あははっ!」
 思わず声を出して笑った。
 うん、なるほどね。が懐くのも頷ける。


「お礼にゴハンでも、って言いたいとこやけど。もいないし、今日の今日でアレやし。そこで飲みもんでも買ってくるわぁ」
 一段落して、奈良ちゃんは通り沿いに見えるコンビニを指さしながら、ゆっくりと腰を上げる。

「ああ。じゃあ、僕が行くよ」
「えーって。一応、お礼もかねてるんやし。あんたはそこで待っといて。ビールでいい?」
「ビールって……大丈夫なの? 倒れた直後でさ」
「もおぜんぜん平気。それに『紫己』と公園で飲むのがお茶っていうんじゃ、何か味気ないやん? ここは乾杯せなね。いーやろ?」
「うーん……」
 まあ、いっか。妖気にあてられたっていっても、別に病気の類とかじゃないし。
 そんなことを考えて返答に躓いていると、奈良ちゃんはちょっと怪訝そうに顔を覗きこんでくる。

「あ、もしかして未成年やった?」
「いえ。四月で21」
「じゃあ、問題ないねんな」
 満足そうな笑顔を浮かべた彼女に、僕もつられて笑った。
「ふっ。じゃあ遠慮なく。いただきます」


 銘柄は? とか。つまみは何がいい? とか。
 何度か振り返りながら、奈良ちゃんはコンビニの方へ駆けていく。
 ホント、元気な女の子。妖力者に狙われるような裏側なんて、まったく見当たらない。
 ううん、でも。心に闇をもたない人間なんて、きっと存在しないんだよね。
 彼女がもし『例外』であるなら、それは『奇跡』に近いんだ。





 「カンパイ!」 「かんぱい!」

 缶ビールでのどを潤し、灰色の星空をときどき眺めながら。
 僕たちは「寒いね」を繰り返しつつ、お互いの仕事や恋愛観を語りあった。

       

 もともとのオープンな性格にお酒の勢いも加わって、奈良ちゃんはやたら饒舌。
 僕をの彼氏だと勘違いしてるせいもあって、色んなことを話してくれる。


「けど、その奈良ちゃんが片恋してる相手ってさ〜」
 そう話題をふった時、彼女の表情がふと陰ったのに気づいた。
「ん? ……何か、他にあった?」

 玉砕したってエピソードさえ、笑いながら話してくれたのに。
 小さな変化も見逃さないよう、慎重に問いかける。


「……なぁ。あたしがあんたに話すこと、5分後には忘れてくれる?」
「うん。いいよ」
「……。あんなぁ、何や笑えるんやけど。……そいつ、例の合コンで、に一目惚れしたみたいで……」
「…………」


 僕の反応が穏やかなのを確認して、奈良ちゃんは伏し目がちに話を続ける。

「仕方……ないねんけどな。って見かけお嬢さまなのに、気取ったとこなくてカワイイし。そのギャップに、あたしもやられたクチやし。
カレシいるから合コンムリ! ゆーのを、強引に連れてったのあたしやから」
 声が途切れて、そのあと震える。
「せやけど。なんか割りきれへん自分がおって。を妬んでしまう醜い気持ちがぬぐえなくて。そんな自分がメチャメチャ疎ましくて……」

 考えるとたまに、消えたくなるんや――。
 そう静かに口にした奈良ちゃんの『気』が小さく揺らいで、一瞬色あせたように感じた。
 代わりに妖力に似た負のオーラが、ふわっと背後ににじみ出る。


「っ!?」

 思わず息をのんだ。
 それを別の意味に解釈してか、彼女は慌てて笑い飛ばす。

「あはっ! ごめんなぁ。こんな話をのカレシにするなんて、あたしも大概イヤな女やね。はい、約束。忘れて、忘れて!」

 さっきまでの明るいノリを取り戻すと、妖気は再びスルッと躰に吸い込まれるように消えた。


(……間違いない。やっぱり何かが、内に住みついている)

 そしてヤバイことに育ってる。
 彼女の身体を器にする気?
 じわじわと精神に侵食して、機を伺ってるのかもしれない。
 加えて、闇が増殖してる理由も見えた。最大の要因は、好きな男の言動ひとつひとつ。
 そして、の存在――。
 嫉妬や劣等を感じた時に、奈良ちゃんの心は妖に支配されやすくなるのかもしれない。


(『憑依ひょうい』か……。早いとこ追い出さなきゃ、奈良ちゃんがもってかれる……)

 でも今はまだダメだ。
 もっとハッキリと視えてからじゃないと、うごめく魂を天に導くことは出来ない。


 ハァ。
 横を向いてため息をつく。
 ったく、のやつ。ガードがターゲットにされて、どーすんのさ。
 合コンで悪目立ちしないようにって、あれほど忠告しといたのに。

(…………ううん。違うか)

 僕の甘さが招いた結果だ。
 ちゃんと見てれば、避けられたことだったのに。
 あっちも。こっちも。
 そのせいでは、きっと、いらない傷までも負うことになる。



「それは、ヤダな……」

 思わず独りごちる。
 うん……やっぱ、ムカツク。
 僕以外のヤツに傷つけられるのは、面白くない。




「……紫己くん?」


 しばらく遠くを見ていた僕を気にして、奈良ちゃんが顔を覗きこんできた。
「何でもないよ」と口角をあげて、缶に残ったビールを飲み干す。


「大丈夫。僕が……」


 近々、片を付けるからね――。
 そう言いかけて、途中で止めた。
 だってきっとまた、『世話にならない主義!!』を、主張されるに決まってる。



「そろそろ、帰ろっか。送ってく」
「え……? いや。だからそーゆうのは、あかんって」
「ダ〜メ」


 戸惑う彼女に、意地悪く笑んで答えた。

 僕は、『最後まで見届ける主義』。
 曲げるつもりはないよ、って。
 


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